the 雑念

葉一用。とりあえず日記

5/11 今日の食事→から揚げ弁当、フライドポテト、ドーナツ 同期氏「見てるだけで胸焼けしてきた」

【ねむたみについて】

講義中のうたた寝が止まるところを知らない。見つかると超怒られるので、適度に適切に分割して寝ているのだが、これがまあバレないのである。バレてしょっぴかれていく人を見るにつけ、ラッキーとしか思わない辺り相当頭がやられているのは確かなのだが、ふと中高大院と人一倍怠惰な癖に人よりも多く授業を受けてきた私は授業内睡眠のプロであることを思い出した。


シャーペンを持ちながら、ノートにそれを斜めに立てながら、俯き加減で板書をしているが如く寝る。


これが私の基本的な競技スタイルである。時折目を開けて静止している時間を設けるのも大切だ。「あ、こいつ起きてるぞ」というのを相手方に印象付けるのである。そして長期の塊で睡眠をとることはしない。せいぜい3分程度意識を手放し、1分起きる。これを繰り返して様々な授業や講義を乗り切ってきたのだ(授業の75%を睡眠に充てることができる画期的な手法である)。ここに至るまでには、多くの苦難があった。ある時は生活指導の先生に胸倉を掴まれて叩き起こされ、ある時は罰として英作文を即席で作って板書しろと言われたり、一筋縄ではいかないのである(しかし寝るのはやめない)。今までの知見が、私の素敵な睡眠スタイルを確立しているのだ。研究に通ずるものがある(ない)。

5/11 僕「人生における野望ってあるじゃん?」同期氏「ボスかよ」僕「人間は誰しも自らの主人なのである」同期氏「トートロジーじゃん」僕「豚トロ食べたい」同期氏「難聴か」

【中日について】

週の中日というのが一番やる気のない日になりがちなのは昔からの習わしである。水曜日を愛せない。これを乗り越えてもまたあと半分残っているのである。おかしい。理不尽だ、と呟いてみる。当然のことながら、周囲の同期たちは誰もそうは思っていないようなのである。かといって、休日に何か特別なことをするわけでもなく、正直なところ私も困り果ててしまっているという節もある。週休2日、というのがこのご時世でどれほどありがたいのか理解しているつもりではあるが、いかんせんこれを有効に使えていないようだ。よくよく考えると布団に引きこもるのが好きなパーソナリティなので仕方がない。社宅に三種の神器を揃える旅に出かけるのが良いような気もしている。

【日課について】

全然終わりの見えない研修であるが、まあなんとか乗り切りつつあるというのが実情である。食事や講義のようなものを上手にこなし、宿題やレポートをとりあえず終え、ゆっくりとベッドに潜り込むくらいの余力が出てきてはいる。ここで油断をするとやらかしそうなので、何かしら緊張感を持って過ごしたいところだが、生憎人生の中で緊張感を覚えたことがない性格をしている。とにかく毎日言われた通り過ごすとお金が貰えるのである。それだけをよすがに生きていると言っても過言ではない。早急に用意すべきはテレビである。テレビ……出来れば4Kの40型……(いや正直そんなでかくなくても良いし4Kでなくても良い)。日課が金に変わると思うのだ。そう、この1秒1秒がお賃金に変わる。尊い。

【椅子について】

勢い余って高価な椅子を購入したのだが、ここ最近の疲労と眠たみの中で「この話、日記に書いたっけー?」となっている。構わずに書いていく。10万くらいの椅子だ。楽天スーパーセール的なあれで5万とちょっとで購入した。まだ届いていない。「人間工学がなんちゃらかんちゃらですごい!」と書いてあったような気がする(気がする)。実際1度家具屋でその椅子に座ったことがあるのだが、高級な椅子とは椅子という概念を覆していくもののようで、一撃で虜になってしまった。ちなみに椅子に座ったのは8年前である。それから私のささやかな野望は、高級な椅子を買う。そしてそれを自宅に置く。ということになった。折角社会人になって給料も貰ったのでこれを叶えよう、というわけである。冷蔵庫も洗濯機もテレビも冷蔵庫も差し置いて、分不相応な額の椅子を購入したのである。同期のA氏からは「貴族か」というコメントが出たが、より貧民に近いところではある。まあ、でも、私はやはり誰が何といっても野望を達成するために毎日を過ごしているのであるからして、椅子を買うことは運命であり必然だったのだ、としか思えない。椅子よ来い。

5/10 同期氏「この世界は間違っている、といつも思っていたが今日その歪みのようなものが明確に分かった。まずお前の存在な」僕「ソレスタルビーイングされちゃう」同期氏「俺は……嫌だね……」

【テストについて】

全然知らなかったのだが、テストで悪い点数を取ると研修所の掲示板に名前が張り出されるシステムであるらしい。「ふーん、そうなんだどれどれ見てやろう」と自分が絶対にそこに乗らないだろうことを確信したついでに好奇心でそれを覗いたのだが、知り合いの名前がちらほら見つかったりした。その隣に今回の成績優良者、という張り出しがあり、そちらも名前が張り出されているようだった。

私の名前が書いてあった。

テスト前日にディメンションWを読み漁り、出題範囲を間違えて覚えていた私は、当然そのように同期に話をしていた、わけである。「いやー、漫画読んでたし気付いたらテスト範囲違うし、今回ダメダメでしょー」みたいなことを言っていたのである。完全に悪いタイプの前フリと化してしまった。居た堪れない。そもそもテストの点数差がつきにくい構造の配点であったのが問題だったのではないだろうか、などと問題提起をしたところで最早私に発言権はないのである。何を言ったところで「よういち君って……」となってしまうのは明らかだ。しかしながら、これは偶々、選択肢や記号、あるいは当てずっぽうで書いた何かしらが思いの外正解してしまっただけの結果なのである。残念ながらそれを信じてくれる人はまずいない。

私の居室には毎週買っているジャンプが積まれている。親しい同期であれば、私が月曜日にコンビニでジャンプを買って、一通り楽しんでから同期に貸し与えていることをみな知っている。その大元が成績優良者。成績優良者という言葉は今や呪いである。周囲はからかい半分に「あ、成績優良者のよういちさん、今週もジャンプ貸していただけますでしょうか」みたいな距離感になっている(絶対に許さない)。私は重々しく頷き「よかろう」と言って民衆にジャンプを貸し与えるのである。

最初の中間テスト(のようなもの)で成績優良者になってしまうと、そこからの戦いは過酷なものとなる。それは高校までの人生でよくわかっていることだ。今回頑張ったけれど上位からこぼれた誰かとの、意図しない戦いがどこかでひっそりと始まっているのである。私はいつものようにその最前線に不用心に躍り出てしまった形になる。そう、頑張っている人がいるという事実に対して私は限りなく不誠実な人間なのである。休日に漫画を読む、規則スレスレのジャンプを買う、昼休みにはソシャゲのイベントを走る、私はそんな奴なのだ。休日に勉強をし、時間外に質問を重ね、昼休みに講義のメモを覚える、そんな人もおり、残酷なことにそんな人は大抵成績が優良ではないのである。しかしながら、頑張っている人はそれなりに得をしている。上司に名前を覚えられ、意欲を買われ、その後、勉強した内容を身につけていくのである。結果よりもそこからのプロセスにつながるのだ。今をのらりくらりとやり過ごしている私よりずっと得をすると思うのだ。当然のことながら、そんなことは思っていても口に出してはいけないのである。新たな火種を撒かないよう、私は目を瞑り、「これは偶々なんだよ」と言い続けるほか取るべき手段はないのだ。偶然とは便利な言葉である。

5/9 僕「という夢を見た」同期「それはフロイト的な解釈からすると」僕「やめて」同期「いや、集合的無意識の観点から考えれば」僕「ほんとやめて」

【午睡について】

昼休みに午睡を取ろう、と思い立ちデスクに伏せていたのである。本当はリノリウムの床に寝転がりたい気持ちはあるのだが、まともな精神を持っているのでやめた。事務机で寝る、というのはちょっとしたコツが必要なのだが、その真髄を文章上で指導するのは難しいので想像にお任せしたい。体のどこも痛くならないように寝る、というのが究極の目標なのだが、なかなかどうして肩が凝ってしまう。そもそも人間は寝る時に横になる生き物なのだ、と気がついた時には昼休みが終わっていた。結局のところ寝ることはできなかったのであるが、講義を受ける際にそっと目を盗んでぐっすり寝ることができたので大丈夫だろう。

【電話について】

不思議なことだが直属の上司から電話がかかってきた。曰く、健康か?メンタルはやられていないか?といった研修に寄せる様々なケアの一環であるらしい。私は電話に緊張感を覚えるタイプの人間なので「ケアのための電話が逆にストレスになる」というありがちな悲劇を演じていたのだが、軽い問診のような感じで終わったので極めてどうでも良い内容でほっとした。心配事や困ったことはある?と聞かれたのだが、直属の上司に心配事や困ったことを話す、というのはどのくらいの規模のことを尋ねられているのかわからなくて困る、というところはある。冗談が通じる人ならば良いのかもしれないが、今後、そういう人ばかりが上司であるという可能性に期待を寄せるよりは無難な心配事を用意するのが良い解決だろう、と思う。率直に言うならば今困っているのは社宅の床の傾きであるが、それを上司に言っても仕方がないのである。基本的に上司に相談すべきことは職務上ないのであった。というわけで「えー、んー、あ、ないです」という煮え切らない返事をすることになる。上司は勿論「言い淀んだ」と察知するわけである。厄介千万。良い感じの当たり障りのない困ったことを探している。

5/8 僕「3食カロリーメイトで良いから朝昼の食事をやめてほしい」同期「過激派だ」「危険思想だ」

【日曜の夜について】

サザエさん症候群、なんて単語をふざけて作ってしまう愉快な日本の心理学であるが、私は逆にテンションが上がるタイプの人間である。人がテンションを上げている時に下がり、人のテンションが下がっている時に上がる天邪鬼が私だ。というわけで日曜の夜は比較的元気で穏やかに過ごしていることが多い。研修もまだまだ終わりが見えないくらい続くようで、なかなか落ち着かない生活が続いている。そこそこうんざりしてきたところは勿論あるが、うんざりしたな、という感情に触れられるだけかなりマシなのかもしれない、と周囲を見て思うのである。在寮組の人々は楽しいことを追いかけるのに一生懸命で少し大変そうだ。GWをエンジョイするのは何も今年でなくとも良いのである、とは思うものの特に何かコメントを出すわけでもなく、お土産のおこぼれに預かってきた。那須や箱根に出向いた人達もあるらしい。そして明日からの研修に臨むのである。心技体の総てを持ってして挑む一週間が始まるのだ(と言っても過言ではないと上司が言う)。

【参考書について】

仕方がないので法律に関する参考書を買った。読んでは見たものの意味がわかりにくい。哲学書を何冊か嗜む程度に読んだことがあるが、それの1/7(当社比)くらいのわかりにくさである(最難関は哲学書ならばハイデガーの『存在と時間』、心理学ならばラカンの『セミネール』であり、今でも見かけ次第燃やしてしまいたい衝動に駆られる)。どうしたものかと思案していたのだが、出典の法律をその度に引いて読み直してみると、そこそこわかりやすくなってきた。だがこれはものすごく時間がかかるのである。六法を引くのが早くなっていくのが最終的な理想形態ではあるが、果たしてそのスキルにどれほど価値があるのか考えざるを得ない。かといって、六法やら何やらを全部頭の中に叩き込むことも出来はしないのである(出来たら転職する)。結果、全ての初学者がそうであるように、ゆっくりと解説と辞書と専門書を交互に見比べながら歩むしかないようだ。心理学だったらもうちょっと頑張れる気がするのになあ、と思う。そんなこと言っても仕方がないのでまた六法に目を落とすのである。

5/7 階段から転げ落ちる芸風で24年間やってきましたがとうとう左足首が逝きました

【観劇について】

言うほど観に行くことはないが、舞台を観に行ったのである。森見登美彦原作の舞台であった。私はその昔、熱心な森見登美彦ファンだったのである。恋文の技術までは全て新刊を追っていた(それ以降はハードカバーの本を借りる機会が減ってしまった)。さて、そんな懐かしい読書体験を掘り返しながら観劇に挑んだわけである。

劇を観る、というのは贅沢なことの一つであるように思う。価格も映画なんかに比べれば高いし、サービスはそこまで良くないのが普通である。しかし、そこで観られるのは生のお芝居なのだ。生、というのは素晴らしい。映画やドラマと違って、ミスをするかもしれないという緊張感に溢れている。ドキドキしながら観るのだ。2時間近く、私はドキドキしながら劇を観たのである。これが癖になる人がいる、というのもなんとなく頷ける気がする。幸い森見登美彦の原作であるから肩の力を抜いて観られる内容であった(でも緊張はする)。たまにはそんなお金の使い方も良いだろう、と思う。

【食生活について】

圧倒的に野菜の足りない生活を送っているようで、何かしらの不備が生じるのではないかと危惧している。後々来る、ということもあるらしく、休日に一回は定食屋で食事をとりたいところだ。隙あらば好きなものしか食べない生き様を誰にともなく見せつけて生きている。

5/6 僕「何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ」同期氏「朝4時なんやで」僕「もうほんとやばいほんとやばいってこれ」同期氏「焦るの珍しすぎでは」

【テストについて】

昨日はテストのあれやこれやで日記の更新ができなかった。控えめに申し上げて本日のテストは爆散したのだが、まあ最低点は免れたようなので良しとしたいところだ。あんまり酷い点数を取るようだと今後に関わるらしい。そんなこと言われたって、という感じだが何を言っても詮無いことなので粛々と取り組むしかないのである。お金がもらえるだけ高校生よりはマシだろう。

【社宅について】

週末なので研修所から社宅に帰ってきたのだが、そろそろこんな荒屋でも居心地が良くなってきた。三種の神器の一つも揃ってはいないことを差し引いても、快適である。荒廃した食生活がこの快適さを支えているような気もするが、それに思い至ってはいけないのである。よくよく考えれば買い物する場所もコンビニも駅も近い、という好立地なのであった。虫が出ることを除いては。

同期のA氏は先日社宅でエメラルドグリーンのムカデを見た、と主張して憚らない。私はそんな花京院のスタンドみたいなことがあってたまるか、と思い「幻覚か統合失調症の先触れだろう」とコメントした。コメントはA氏に受理されなかった。まあそれは仕方ないとして、畳の隙間や窓と壁の間からムカデがうぞうぞと入ってくるのは心安らかではない。ムカデは噛まれると痛いのである。幸い、まだ私は出会っていないのでA氏の幻覚であったという仮説もまた反証されてはいない。梅雨、そして夏を乗り切るための闘いは始まったばかりだ。