the 雑念

葉一用。とりあえず日記

2/29 弟「And nine point eight is my acceleration」

【喫茶店について】

友人が煙草を吸うので、全面喫煙可能な喫茶店に通うことが多い。私も通い始めた当時は喫煙をしていたのだが、子供と接する仕事が多くなったのでやめた。どこにでもあるからという理由でセブンスターを吸っていた。喫煙する学生はカッコいいと思っていたのかもしれない。当時はコンビニで夜勤をしており、そこの同僚達が吸っていたというのもある。喫煙をしている瞬間、喫煙者には説明し難い独特の間が訪れることがある。一緒に喫煙をしている誰かとの距離が急に近く感じられたり、とても長い間そこに漂っていたような感覚であったりする。大概は気のせいなのだが、そんな気がすることもあるのだ。

友人は学部生を卒業したあと就職してしまったので、その喫茶店に通うのは私一人になってしまった。煙草に焚きしめられるのではないかと危惧するほど、店内には紫煙が充満している。ほとんど受動喫煙をしに足を運んでいるようなものだ。硬派な佇まいのくせに、その店はスイーツのようなメニューが充実しており、私は温かいコーヒーの中に生クリームとアイスクリームが入っている得体の知れない飲み物を注文する。いつもそれを飲んでいるような気がする。馴れ馴れしいマスターが、どうでも良い話をしたりする。そんな漫画の中にしかなさそうな喫茶店に今日も通ったのである。院生は一人ぼっちに慣れている。が、やはり友人達と騒いだことが思い出されるとなかなか寂しいものがある。存外、年をとっているのだなと思ったり、豊かな学生生活であったかなと省みたりする。うっかり閉店まで粘ってしまい、マスターに「ねえ葉一くん、閉店だよぉ」と言われ追い出されるようにして店を出た。「卒業してもまた来てね」とのことだった。

【後輩指導について】

昨日のデータファイルを返却し、今日、後輩の修論計画について口頭で説明を受けた。心理学の研究は多岐に渡り、曖昧で適当で、到底科学的とは言えないものまである。その有象無象をとりあえず「先輩として」なんとか世に出してもおかしくない程度の体裁を整えてあげるのが今日の仕事である。彼らの研究の屋台骨を折らないように、それでいてその破天荒な着想をどうしたものか考えたりするのだ。無論、先輩の意見など聞く耳を持たずにそのままGOする猛者もいることにはいる(私もそうだった)。大概ひどい目にあうので、先輩の言うことには一応は耳を傾けておくのが良いのかもしれない。

私の所属する研究室の後輩は、真面目である。

どうしてこんなに真面目な子たちが後輩なんだろう、と首を捻っているところだ。比べて私や同期、先輩などは酷い有様である(だが私を除いて比較的みな有能なのが困ったところだ)。「先輩、私の文章日本語おかしくないですか」「この概念の使い方、間違ってませんか」「参考文献で葉一先輩の読んでいたなんとかかんとかが欲しいんですけど、先輩は論文を読んでどのように思いましたか」。研究室で顔を合わせればこんな調子である。私の場合「ちょっとここのてにをはがおかしい」「この概念の使い方は諸説あるから調べたほうが吉」「あんまり面白くなかった」みたいな返事をする。先輩の場合は「日本語で書いてあることは視認できる」「人による」「実は読んでない」みたいな感じだ。全然答えになってない。それに後輩たちがいちいち反応するから面白い。こういう質問は大切なのだが瑣末で、どちらかと言えば発表の最後に詰めるべき場所であり、計画に関する致命的な欠点を先にえいやと指摘する仕事のほうが重要だという共通認識がある。「で、そんなことはどうでもいいんだけど……」。この次に挿入される言葉で大体後輩たちはがっくりと項垂れてしまうのだ。私も今日は2名ほど心を折ってしまったようである。「俺に指摘されるくらいなら、研究室のみんなが指摘できることだし、早々に計画を見直せて幸せじゃん」。グーで殴られた。最後は一緒に論文を探してあげたのだから、勘弁して欲しいところだ。

【文量について】

日に日に文章量が増えている、ような気がする。デジタルで文章を書くと際限なく書けるような気がして良くないのかもしれない。紙上は有限であり、それが今や恋しいほどだ。嘘である。こうして無駄な文字数が増えていくのである。寒さで指がかじかんできたのでここら辺でおしまい。