the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/2 弟「どこでもドア貰ったら何する?」僕「自分の1m後ろにドアを出して自分の足を掴む」弟「ウロボロスかよ」

【いけにえと雪のセツナについて】

弟に「折角PS4を買ったんだから何か面白いゲームを買っておくれ」と頼み込んだところ、「母親もできそうだから」という理由で『いけにえと雪のセツナ』を買って貰った。ちまちま時間を見つけては進めていたのだが、昨夜すこし夜更かしをしてクリアした次第である。「古き良きRPG」という売りだったらしく、確かにコンセプト通りだったように思う。クリアするだけであれば、時折全滅することはあるものの、そこまで難易度は高くない。「なんだかPSのゲームって最近玄人向けじゃん?」って勝手に思っている私にとっては新鮮であった。

ボリューム、ストーリー、音楽や雰囲気については各サイトや感想スレなんかに書いてある通りである。私としては「まあ昔よりもみんな物語の筋書きにうるさく口出しするようになったのかもしれないよね」という感想を抱く。現代のニーズに合わなかったと言われれば、コンセプトのターゲットから外れた客層が買ったということなのかもしれない。やりこみたいかどうかはさておいて、やりこみの要素は大きい。最近のゲームにしては文字での解説が非常に多く、昨今のスマホゲームとは真逆の方向へ突き進んだ感じだ。戦闘システムもなかなか分かりづらい。文字が多いから仕方なかった。最初、母は紙の説明書を御所望のようであったが、いまは自分でコントローラーを充電しながらプレイするくらいPS4に馴染んでいる。適応とは素晴らしいことだ。

【批判について】

最近何かと話題の批判である。最初に述べておくと、私は批判をするのもされるのも別に構わないというスタンスだ。しかしながら、適切な批判というものにはいくらかの作法が必要なものである。ここで学部生時代所属していた団体で創作物にコメントをする際に心掛けるようにしていた幾つかのルールを備忘録として記しておこうと思う。

1.悪口と感想と批判は異なるものである。

2.創作物の製作者にとって利となる可能性のあるものが批判となる。

3.製作者の前で同じ言葉で批判が言えない場合、それは悪口と同じである。

4.創作物と製作者の人格は全くの別物である。

5.代案や改善策が同時に提示されるものが、より良い批判となる。

6.感想を述べる場と批判を述べる場は分離されていることが望ましい。

7.個人の主観で語られるのが感想であり、客観的な証左が得られるものが批判である。

細々あるが、これくらいのことを押さえておけば気兼ねなく批判ができるような気もする(しかし世の中には絶対にネガティブな意見を耳にしたくないという人がいることも忘れてはならない)。また、創作について『批判を受けなければ成長できない』という考えも根強いが、私はあんまりそうは思わない。他者が他者に与える影響というものは、想像以上に小さいことが多いからだ。

【冷凍餃子について】

夕飯に餃子を焼いてくれ、と言われたので焼いた。母は私の生活能力が0に近いことを知っているので、時折私に家事手伝いをさせようとする。餃子を焼く、と言っても冷凍餃子をフライパンで焼くだけなので確実に見下されている。

母「えっなんで餃子焼けるの???焼いたことあるの???」

この通り、母は天然の傾向がある。私が得体の知れない食生活だから、食べ物について何も理解していないという前提に立っていたのかもしれない。

僕「冷凍餃子は大概の人間が調理できるようになっているのだ」

母「なるほど」