the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/6 弟「歌ってもらえるあてがなければ人は自ら歌びとになる どんなにひどい雨の中でも自分の声は聞こえるからね」

【休日について】
久方ぶりの休日である。大概休日は本を読んだり、録画を消化したりするのだが、今日は何をやる気も起きず一日中クッキーをクリックしていた。有意義な休日の過ごし方、と言われてもピンと来ない人種である。そもそも有意義という言葉に何かしらの抵抗感があり、あえて無意味な事ばかりを言ったりしたりして生きてきたようにも思う。個性の出し方を間違えた若者の典型で、むしろ返って没個性的であるかもしれない。最近は外食したりすることが多かったのと、昨日の耳鼻科での診療代と薬代とで、なんとなくお金を使うのが惜しい気もしている。とどのつまり、家に籠っているのが一番なのだ。花粉も飛んでいるわけだし。そんな自堕落な私を見下しながら、弟は自転車で元気に出かけに行った。「今日は友達とサイクリング」と言っていた(ような気がする)。サイクリングである。信じ難いのである。健全かつ無益、そして有意義っぽいのである。「休日はよく友達とサイクリングに行きますね(笑)」とか一度はなんの躊躇いも無く言ってみたいものだ。勿論嘘だ。そんな弟が夜な夜な隣室で中島みゆきを唄うのだから、闇は深い。
【昼食について】
さて、一人家に居るとなると、面倒なのは昼食である。買い物に行く気も起きなければ、何かしら自分で調理をしようとも思わない。結論、お湯を注いで出来るもの、ということになりがちだ。私の場合、お湯を沸かすのもめんどくさいということが往々にしてあるので、最終的に一日何も食べないまま夜を迎えてしまうこともある。23歳にして、未だにフィーディングの必要が生じていることに対して母親は「大変遺憾だ」とコメントしている。何も食べないとさすがに小言を言われるので、今日もめんどくさいながら何か食べるか、ということになる。ラインナップとしては、カップ麺か冷凍ご飯か、というところだった。まず主食に目を遣り、次に主菜を考える。カップ麺であればすべて一括で済むので思考が停止出来て最高だ。しかしながら、今日のカップ麺は弟がストックしている(であろう)『いい感じの』カップ麺であった(名店○○の味を完全再現、とか書いてあるアレである)。これを食べてしまうと、私と彼の間で何かしらの心理的対立が生じてしまうであろうことは想像に難くない。こうして私はとりあえず冷凍ご飯を解凍するのであった。ここで困った事に、ご飯に見合うおかずが何一つ見当たらない。冷凍から揚げなんかがあるだろうと踏んでいたのだが、残念ながら冷凍庫にはもう一つ冷凍ご飯がごろんと寝そべっているだけである。冷蔵庫には柴漬けが少し。腹を括って柴漬けとふりかけで白飯を処理するか、と思ったところでレトルトのカレーパウチがあるのを思い出し、九死に一生を得た。カレーをもぐもぐ食べながら、本当にこれでいいのか、と思わないこともない。が、面倒なのでこれで良いのである。
【震災について】
そろそろTV番組も震災特集に染まる季節だ。当日に何か記すよりも、今日のように時間がゆったり取れる時に書く方が良いだろうと思い、ここに書くことににした。
震災時、私は学部1年生も終わりに差し掛かっていた。サークルの集まりがあったので大学に顔を出していたのだが、丁度その時に地震が来た。サークルのある建物はおんぼろだったので、直ちに避難しろという指示があり、大学の体育館に避難した。その時はみんな浮足立っていて、正確な情報も何も知らないままその場で先輩や同期と談笑していた。当然帰れるもの、と思ったのだがどうやら大学は一晩ここを解放するので泊まっていけ、と言う。私はそんなに被害が大きいのかと思い、歩いて普段使うターミナル駅に友人たちと向かった。そこでは大の大人たちがくたびれた顔で、ありとあらゆる段差に腰掛けていたのである。改札は全て閉ざされ、どこもかしこも駅員とその取り巻きが喧々諤々の言い争いをしているところだった。その時になってようやく、「ああ、今日は家に帰れないんだな」と確信した。友人達はもう一度大学に帰るのは嫌だ、とのことでカラオケボックスに行き、私はブックオフで漫画を数冊買い体育館に戻った。その晩は一睡もせず、ぼうっとしては思い出したように漫画を読む、というのを繰り返していた。翌日も10時を過ぎると、なんとか電車が動いているということで、ぎゅう詰めになりながら帰宅した。家族は全員無事で、私は「大変な目に遭ったけれども総じて大した被害を受けなかった」とこの一連の出来事に対して結論を下した。
しかしながら、この結論は私の中で少しずつ変容していくことになる。買い物に行ってくれ、と頼まれた店頭のテレビで、原発が爆発するのを見たり、大学が新入生と在学生の安否確認を行っているということを知ったり、東北出身の先輩がどうにか故郷に帰る方法を探している姿を見たりし、私はこの混沌とした状況を解決する術がどこにもないということを知った。まさしく「状況は続いている」のだ。そして、それを何とか解決していくのは、大人と思っていた誰かではなく、子どもを終えつつある私たちでもあるのだと思った。私は18歳だったから、そして直接被害がなかったから、まだ耐えられる。実際に被災した小学生や中学生は、どうだろうかと考える。色々なことについて「仕方ない」と精神的に大人になることを強いられたのではないだろうかと考える。アダルトチルドレンという単語を出すまでも無く、これが人にとって悪影響を及ぼすことは自明である。
大人の中にも、仮想敵を見出して自分の内的な不安を解消しようとする人や、日本や所属集団という比較的大きな枠組みに自らのパーソナリティを仮託することで自分は価値のあるものだと思い込もうとする人がいた。その動きに過剰に反応し、自分を全体主義から守ろうとする人もいた。大人にも色々な人がいるということを、この5年間でよく知ったように思う。震災に限って言えば、知る5年間であった。まだ誰にもわからないことだって、たくさんある。それを正しく知る準備があり、必要であれば動くことが出来る。そんな大人になりたい、と改めて思う。
存外文章が盛り上がってしまい、反省しているところだ。とにもかくにも、被災地の復興と更なる発展を応援する次第である。