the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/11 父親とトイレのタイミングが重なるんだけど弟がその度にディスティニーって宣告してくる

【感情について】

心理学には日本語における感情という単語に対応する英語がいくつかある。feeling、emotion、affectionなどがその一部だ。それぞれ用法に細かい違いはあるのだが、とりあえずそこら辺は置いておく。とにかく立場や視点が違えば言葉も異なるということだ。感情というものは常に心理学の中心であった、というわけではない。どちらかと言えば、物の見え方や記憶の仕組み、あるいは学習の仕方、集団における行動、精神病の機序といった関心が中心にあり、それに付随するものとして感情は扱われることが多い。意外に思われるかもしれないが、感情そのものを扱う研究は少なくないが多くもないのである。何故なのか。それは感情というものが扱い辛いものであるからである。あまりにも主観的すぎる概念は心理学における研究で大成しない。それを扱わずして何が心理学か、と思われるかもしれないが実際そうなのだから仕方ない。だから心理学は回り道をして、当然そうなるであろうと一般にも予想される結論に至ったりするわけである。

「情動が邪魔」

という言葉は心理学徒の中で脈々と受け継がれるネタの一つである。研究で行き詰まったり、教授に計画をディスられたり、発表で馬鹿にされたりしたときに、渾身を込めて呑みの席で言うのが決まりだ(余談だがこの場合の情動はemotionに類する感情の一側面である)。感情の研究をする上で最も邪魔なのが自らの感情であるというアイロニーに心理学徒は苛まれているのである。

心理学徒はこれをネタにして言葉遊びをするのだが、一般社会において「情動(あるいは感情)が邪魔」な場合も勿論ある。合理性や現実に対する非合理的な執着や思い入れがそれだ。普遍的な事柄であるが、この対立は不幸である。人間という生き物はファンタジーでもない限り情動を上手く思考から切り離せないものであるし、同じ感情を共有できない場合、合理的な意見の方が一般に正当性を有しているかのように見えるからだ。これは感情の主観性に由来する問題である。これも心理学徒の持ちネタであるが「感情はお金で解決出来ないかもしれない、数少ない現象の一つ」なのだ。感情は心理学における厄介者である。現実場面でもそうかもしれない。何か意見の対立がある時は、この観点に立ち返ると解決の糸口が見えるぞ、と私の愛すべき先輩が酔い潰れる5分前くらいに言っていた。彼は教授と3時間の議論の末、研究計画を変更してきたところだった。「俺は見誤ったがな……えへへ…………本当に情動が邪魔」とのことだ。現実は非情である。

さて、この項では感情と情動を使い分けて書いた。心理学の奇妙なルールの一端が伝われば幸いである。

【速達について】

書類を速達で送ってくれ、と言われたので郵便局に行ってきた。地元の郵便局は田舎だからか妙に間延びした雰囲気で、職員がもたもたと速達のハンコを押してくれた。324円、と言われ存外高いな、と思う。いつも想像より速達料金はちょっと高い。送った後から「書類にミスはないかな」とか「茶封筒で送ってしまったけど先方は怒らないかな」とか考え始めて、結局「ま、怒られても別にいっか」となる。

そう言えば、と郵便局の隣に昔、潰れかけの駄菓子屋があったことを思い出した。そちらを見れば子供用の自転車が何台も、店先に並んでいる。まだやっていたのかと驚きながら、怪しいおじさんと思われない程度に覗いてみようと思った。17年ぶりくらいのその駄菓子屋は、特に何も変わっていなかった。外に置いてあった10円を飛ばして遊ぶパチンコ台を中に置くようになったくらいだ。やはりそこには、昔と変わらず小学生たちがわいわいと賑やかしくパチンコの一挙一動に興奮していたわけである。子供と接することが多いからか、少子化というのは私にとって身近でない。こうして駄菓子屋が存続しているのも、なんとなく良かったような気がした。これ以上いると通報されるかも、と思いそそくさと逃げ帰る。実は既に十分ノスタルジックな気持ちにさせられていたからだ。

【古本について】

うっかりまた古本屋に立ち寄ってしまい、西尾維新の書いた『×××HOLiC』のノベライズを見かけたのでつい買ってしまった。熟慮の末に買ってしまったのだが、108円だったから仕方ない。諦めよう。

本も困ったもので、新居に持っていくものといかないものを分けなければ立ち行かないくらいの量がある。マンガや小説は吟味の必要があるけれども、専門書はこれからより使うようになるので必携だ。それだけでダンボール3箱は見込まなければならない。専門書は高くて重いのだ。マンガも弟と話し合いの場を設けなければならないものが幾つかあるし、小説にしても古典SFや森博嗣は弟から置いていくよう依頼されている。読んだ本は売ってしまおうかとも考えたが、惜しい気持ちが今は強い。かといって電子書籍のように自炊するかというと、私は未だ紙面で文字を読みたい人種であり、慣れないから抵抗がある(電子書籍はページを戻るのが大変だと思っている)。

そんななかまた数冊本を買ってしまう。因果な性質である。