the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/17 後輩「いつも!おんなじサンドイッチ!!食べてんじゃねえよ!!!!」僕「ごめん」

【手帳について】

今年度用に4月始まりの手帳を購入した。例年使っているものが見当たらず、新しいシリーズのものを仕方なく買った。捜索する根気がなかったのかもしれない。

実際のところ、手帳を使わなければ覚えられないような用事はない。おそらくこれからも、ないだろう。手帳を使うのは大概が事後で、事が済んでから「ああ、あれはいつの事だったかな」と確認する際に使う。何かしらの回数を数えたり、頻度を類推する際には便利だ。それほど有用なツールではないが、一つ持っておけばそれらしく見えるのだから、恩恵には預かっている。本当はもう少し小さめで、メモの部分がたくさんついているものが良かったのだが、汚いメモをいつまでも手帳の片隅に残しておくのも癪なので、胸ポケットに収まるくらいのメモ帳も購入した。これもメモをしなければ覚えられないことなどそうないのだが(覚えられないくらい複雑なことは書面になっていることが多い)、一応話を聞いている体を演出するのに役立ってくれる。最近は説明した言説と事実が異なる事も多いので、メモ帳の機能はもう少し活かされることになるだろうと思う。

ペンや筆記用具にも気を使う事が多い。職業柄キャラクターが付いていたり、過度に華美なものなどはやめておいた方が無難だし、さらに言えば赤や青といった色彩の強いものも歓迎されない。黒の地味ですぐ交換の利くもの、というと紛失した際にとても困るのでそれなりにユニークさも必要である。文房具を買うのはそれなりの大変さが伴う。

【ケーキについて】

今日は喚いてはいたが、仕事が一段落したのである。善い日なのでケーキを買った。こうして何かしらの節目に目に見える形で報酬を与えようと試みる私は、大分心理学に汚染されているような気もする。

『長期的には、我々はみんな死んでいる(In the long run, we are all dead.)』とはケインズの言葉らしい。先日、私の友人である社長(と呼称されている)がそう言っていた。英文はWikipediaからお手軽に拝借したのである。これに関連して、森博嗣の話に登場する真賀田四季の台詞も思い出した。『そもそも、生きていることの方が異常なのです』。いずれにせよ、これらの言葉には何かしらの魅力がある。フロイト的に言えば死の欲動があるのかもしれない。

生きる意味について教えてくれませんか、と言われた事がある。今の今まで忘れていた。とても「重たい」人だった。生きる意味について教えてくれませんか、と彼は繰り返して言った。私は正直怖くて、足が震えていた。「それは人に訊くべき事ではないと思います」と辛うじて返答した記憶がある。私はきっとその時、漠と前述した言葉達に近似した解答を得ていたのだと思う。そして、その解答を彼に与える事は「危険で」出来ないと判断したのだ。それから彼がどうなったのかはわからない。そういう仕事だからだ。

私はケーキを買う。熱心に選んで買う。結論は出ているのに、なんとなくそれらの言葉や考えに抗いたいのかもしれない。

【眠りについて】

いつでもどこでも眠る事が出来る、というのは誇張しすぎだが、ロックを高らかに歌い上げる友人と同室のカラオケボックスで惰眠を貪ることが出来る程度には睡眠に関する自由度が高い。眠ろうと決意してからあまりにも急に眠ることが出来るので、気絶、と呼んでいる。決意さえあれば出来るので便利である。

今日も仕事の前に控え室の椅子に座って一眠りしていたのだが、あまりにも緊張感がない、と受付のおばちゃんに叱責されてしまった。

「でも僕も緊張はするんですよ。緊張と睡眠の間に相関がないだけで」

「嘘おっしゃい!!!!貴方みたいな人は初めてよ!!!!」

かれこれ数十年勤めている受付のおばちゃんに「初めて」と言われ少し照れたりもした。後輩は呆れていた。