the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/18 僕「チップとデールの見分け方知ってる?鼻が赤い方がデールだから、『鼻血デール』」同期「鼻血デール」

ゆとり世代について】

私達の年代に対して「ゆとり」という言葉はいささか鬼門めいたニュアンスをもって伝えられるところである。他ラボの同期のおばさんは何かにつけて「まあよういち君たちの世代はゆとりだからしょうがないよねー」と言ったりする。これを甚だ不愉快だ、と思う同期もいるようだ。

私はといえば、基本的には何も感じるところがない。そう言われれば「そうですね」という感じである。こんなリアクションをしても「ゆとりだから」なんて言われそうで若干辟易するかもしれない。話に進展のない話は苦手だ。私は負けず嫌いであるから、「ゆとり世代文科省の改定年度から現在の30代〜40代の成人も含まれるという言説もありますよ」とか「それは若者に対する言いがかりについての年代を越えた再帰性に由来する問題ですね」とかそういうことも考えてみる。しかしながら、この手の議論の鬼門であるところはレッテル貼りに対して何かしらの反証をしても効果がないどころか「ムキになっている」なんて言われてしまうところにある。

これは心理学におけるステレオタイプの研究と近似する結論に至る。結局のところ、レッテル貼りを好む人間というのは複雑な思考を好まないのだ。であるからして、レッテル貼りをされた当人からの意見に耳を傾けたりはしない。だから「ああ、そうですね。えへへ」なんて言っておけば、向こうが自ずと周囲からの不評を買うように出来ているのだ。世の中の差別全般について、そういうことになっていると思う。問題は人数比ただそれだけである。

「ゆとり」と言われて腹が立った、と同期が言う。私は「強いて言うなら、まあ、加齢とともに前頭葉の働きも弱くなるから、思ったことを言わずにはおられない。衝動性の統御が上手くいかないのだろう」と述べた。これは科学的な証左のある事柄だからだ。

【常識について】

前項とうっすら繋がるが、そもそも臨床を学ぶ心理学徒は1度や2度、内にある既成概念を壊されてしまうものである。それ故に常識が欠落してしまったかのような人も多々見受けられる。その中にも独自のルールがあり、ゲン担ぎがあり、混沌とした理屈が蠢いているものなのだ。

ここで一つクイズのようなものを出してみようかと思う。臨床系の心理学徒にはおなじみの問題かもしれない。


「あなたはカウンセラーです。中学2年生の男子が不登校を理由にあなたのところへ来室しました。母親の面接から、彼の両親が離婚の協議をしているということがわかっています。彼は『どうしても学校に行きたくない』とあなたに言いました。さて、あなたはなんと彼に言葉をかけますか?」


このリアクションで自分の被相談者としての傾向を知ろう、という試みである。

「でも学校に行かないと君が困るよ」みたいなことを言う人は、既成概念が壊れていない可能性が高い。普通の人が言うようなことをこのような場面でもう一度彼に伝える必要はないのだ。

「どうして学校に行きたくないのかな?」と言う人もいるかもしれない。これは関係性にもよるが、内省を促すには早すぎる会話である。せっかちな人に多い。こういう人は思わぬ会話で相手が「非難されている」と感じてしまうことがある。

「学校に行かなくても別に良いんじゃない?」とか「他にも楽しいことたくさんあるしね」などと言う人は、必要以上に彼を許容している。優しい人や、つい他人の手伝いをしてしまう人はこんな返しが多いようだ。彼はここで、自分で何が自分にとって良いのか考えるのをやめてしまうかもしれない。被相談者との関係に甘えるのである。「相談室の先生に良いって言われたもん」と家で言うかもしれない。これは場合によっては良く働くこともあるが、被相談者がどこまで彼の横暴を認めるかによってランダムさが増していく。「昨日は夜寝なかった」「一日中ゲームをしていた」「母親に暴力を振るった」「煙草を吸ってみた」、ここで被相談者が彼を否定すると、彼は裏切られたと感じるかもしれない。何が良くて何が悪いのか、それは被相談者自身も最初から把握していなければならないのだ。

「それは両親が離婚しそうだから?」と得た情報を使おうとする場合、これが最も危険な会話になることは疑いない。不登校の理由探しをするのは彼の相談の本質から外れているからである。理屈っぽい人は他にも「それは学校が嫌なのかな?」などと不登校の原因を探そうとする傾向がある。また、彼から得ていない情報を使用するということは、彼から得た情報もまた、誰かが使用するかもしれないということに他ならず、被相談者に対する相談内容に一定の制限がかけられるだろう。

「ふーん、学校に行きたくないんだ」と返す人は、もしかしたら多少の予備知識のある人かもしれない。反復技法は基礎である。勿論、話は弾まない。この後どのように彼と関係していくかで、被相談者のオリジナリティが出るのである。

ここでの問題は、「学校に行かなくてはならない」と思いながら「ふーん、学校に行きたくないんだ」と言っても仕方がないということである。この場は乗り切れても、次の話題ではそうはいかないかもしれない。自己一致、と呼ばれる法則だ。自分がそう思わないことを言葉にしても、最終的に相手にそれが伝わってしまうものなのだ、という説である。不登校くらいなら問題の許容範囲が大きいかもしれないが、相談内容は多岐に渡る。「不倫し続けたい」なんてものもあるくらいだ。

そうして私達はいつの間にか非常識になってしまうのである。「不倫ねー、仕方ないよね。わかっちゃいるけどやめられないよねー」みたいになっていくのだ。笑う。いや、笑えない。

【ふりかけについて】

我が家のふりかけは『味道楽』である。父親が「この道楽息子がっ!」と言いながらごはんにふりかける。100回ふりかけをかけると100回はこのセリフを言うのだ。飽きが来ない、という脅威のパーソナリティーである。おそらく私のカロリーメイト癖なんかも父の血に由来するものだと思う。

「バックが上手い奴はセックスも上手い」

という言説を知っているだろうか。私は父から聞いた。弟が中学生になった途端、父は下ネタを解禁したらしい。車でバックする時に必ずこれを言うのだ。

「そうでもねえよ」

と母。母が車にいてもそれを言い、必ずこう返される父である。自由だ。