the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/20 お通しとお通じを見間違え危うく大惨事になるところだった修士(心理学)が私です

【修了について】

というわけでようやく修士(心理学)を取得したわけである。学士を通して6年ほどの道のりであったが、難易度はともかくストレートに歩んだので上出来と言う他ない。就職先がはっきり決まっている同期は少なく、常勤の仕事にありつけたのも(仕事が始まっていないからなんともわからないが)僥倖である。

「よういち君は前途洋々だね」

なんて言葉をかける先輩もいた、わけである。とりあえずの常套句だが、残念ながら私の前途は明るくなく、薄ぼんやりとした靄が掛かっているかのように見える。他者と比較した際の幸福度、というものはあてにならない。自分だけの主観的なつらさ、というものを心理学徒達はよく知っているからだ。その気持ちをみんな漠然と抱いている。だからこそ、前途洋々という言葉は鼓舞であり祈りなのだ。

高校の卒業式では、それぞれがばらばらの道を歩む、という取り返しのつかなさのようなものを感じた。2007年以降の経済的な不安が続いていた頃の話だ。これからどうなっていくのだろうという気持ちとこれからどうすれば良いのだろうという気持ちが私の中に広がっていたように思う。須く未来は明るく、楽しい、希望に満ちている、とは言い難い世界だった。そうしてその気持ちは今でも、私に暗い影を落としている。同世代の人達が、どう思っているのかはわからない。ただ、卒業に寄せてこれからの明るい将来についての美辞麗句に対する拒絶のようなものを共感する人は多いのではないかと思う。

私は今日、このたくさんの形容詞を着飾った常套句の数々と2年ぶりに再会を果たした。そうしてこれらの言葉は、建前でも形式でもなく、祝詞の類型であることに気が付いたのである。君達の未来は明るい、という言葉には「君達の未来は明るくあるべきである」という含意に過ぎないのだと思い至る。ああ、そんな単純なことであればもっとたくさんの人からの言葉を素直に受け取っておけば良かった、と後悔した。やはり私にとってこの2年間は必要な2年間だったのだろう、と思うのである。

【ボスについて】

ボスの研究室は学部生で溢れ返り、我々院生達はその明るく若々しい力に蹴散らされ、研究室の隅で固まっていた。また、早々に研究室に顔を売りたい来年度のM1が袴姿で現れ、私達に丁寧に挨拶をしたりするのだ。私は朝からの長丁場に疲れ果て、私物の『からくりサーカス(愛蔵版)』を読んでいたわけである。持ち帰るのは面倒だから、必然研究室に寄贈となる予定だ。

よういち先輩もお話ししてください、と後輩が言うので私は「今日は私もお祝いされる側なのになあ」と思いながら「ギイ先生って死にそうでなかなか死なないよね」という話をした。『ハリー』と病院守る戦いで死なないんだよな、みたいな。パンタローネアルレッキーノどっちが好き?みたいな。あまりの自由奔放さに見かねたのか、ボスが私と同期を連れてケーキを奢ってくれた。

「終わり良ければ全て良し、言うやろ」

そう言いながらとりあえずボスは私と同期の修了を祝った。実は、ボスも卒業生の相手に辟易していてこうして口実を作り研究室からエスケープしたということを私達は知っている。このまま直帰する算段なのだ。和やかにいつも通りの会話が弾み、私達の財布をボスが押し留める。会計の際に、ボスはぽつりと一言。

「なんや、寂しくなるなあ」

そう言ってから、少しはにかんだ。ずるい、と私は思う。颯爽とボスは駅に向かい、「では。また会いましょう」と言う。老獪な男は嘘をつくのも上手である。

【帰宅について】

帰宅の途についたのは23時30分頃で、こうしていまようやく日記を書いている。長い1日だった。都内は雨が降っており、風は冷たく、終電間際の電車は混み合い、暑く、コートは重たく、証書などの紙袋は嵩張る。今年度ワースト入りも狙える帰途だった。

使用している路線のせいか、終電間際の電車のせいか、今日は異様な出で立ちの人々が目についた。先頭車両だったのも関係しているかもしれない。座って泣いているロックな女の子とかいた。よく知らないけどかわいそう、という感じだ。ヘッドホンから音漏れしている40代の宗教家っぽいおっさんとかもいた。こちらもよく知らないけどかわいそう、という感じだ。私も花粉症の薬が切れて、くしゃみが止まらない状況であった。勿論、かわいそうである。終電にはかわいそうな人達が乗っている、というのはあながち間違いではない。