the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/24 弟「ガーベラ 都合よくはばたけたなら ここにいなかった」僕「スピッツじゃん」弟「おっ、やるな」

【梱包について】
そろそろ引っ越しの準備をせねばならぬ、ということで一番大切で資産価値のある専門書からまとめてみた。段ボール3箱分くらいになった。それにしても重い。ほとんどの書籍は定価で買ったので、おそらく新品で同じものを揃えるとなると30万くらいにはなるのではないだろうか。学部3年生から泣きながら集めていたのだが、半分くらいは研究費で購入できたのでそこまで痛い思いもしていない。私の次の仕事もこれらの書籍には大変お世話になる予定なので(特にDSM5と現代児童青年精神医学)、丁重に扱っていきたい。漫画と小説はどうしようか、と考えているがそれはまた日を改めて弟に着払いで送って貰えば良いかと考えている。でも『ドロヘドロ』や特装版の『封神演義』とかもあるので弟にあれこれされる前に回収した方が無難かもしれない。
【寄せ書きについて】
部屋を片付けていたら、高校時代の寄せ書きや学部生時代の寄せ書きが出てきたのである。そういえば、先日の送別会でも寄せ書きを貰ったな、と思い出し改めて見てみた。特に言われることに大差はない。基本的には「おしゃべりで怠惰な奴だがいなくなると寂しい、また遊びに来てくれ」というような趣旨のことが書いてある。残念ながら高校時代の後輩たちとは卒業時から一度も会っていない計算になる。特に会う必要を感じないし、それはおそらく後輩たちもそうだろう。このような機会の折に、「ああ、あんなやつもいたな」くらいで良いのである。他方、後輩たちは私たち先輩を思い出すアイテムが存在しないので二度と思い出さないということもあるかもしれない。だが、まあ、それくらいの人間関係の方が気楽で良いという気もする。
見つけなくても良いのにこれに続いて見つけるのは卒業アルバムである。高校のもので、そういえば貰ったその日に開いたきり一度も中身を見ていないと思った。よせば良いのに開いてみてしまう。やはり当時からそこそこ丸顔だったな、と思いページを捲る。教室、グラウンド、全然知らない人、見覚えだけはある人、仲の良かった人、嫌いだった人、色々ある。卒業アルバムの最後の数ページ(遊び紙のような何枚か)は、白紙だった。メッセージを断ったのを思い出した。メッセージを見て思い出した時に、その人と疎遠になっていたら寂しいと思ったのだ。その判断は正しかったようである。
私の高校生活はそれなりに充実したものだった。本当である。部活も県大会に行くくらいだったし、成績もそれなりに良い方だった。今更そんな話をしても仕方がないのだが、そうだったのである。クラスにも友人が居たし、偏差値もそこそこ良いところであったから風紀も乱れようのない感じの校風だった。ふざけたとしても、体育祭などのイベントの時に内申点に響かない程度ハメを外すくらいだ。そんな感じで、学校の校風自体は結構嫌いだったのである。あまりにも退屈な日常だった。周囲の人間は押しなべて良いヤツであり、私も極力そのように振る舞った。でも私は己の根幹が善良な人間とはかけ離れたところに位置する人間なのである。私は特別だ、と主張したいわけではない。本音と建前を使い分けるのが、他のみんなより少し下手なのだ、と言いたいのである。学校の方針も、進学校だったこともあって何かと制限や特殊なルールが多く、生徒が従順に言うことを聞くので教師が大きな顔をしていた。

学校のどんなところが嫌いだったのかを表すエピソードがある。私が高校2年生の時の話だ。自転車で高校に通っていたのだが、私は遅刻の常習犯であった。といっても、遅刻というのは出席簿に『遅刻』と載ってしまうものではなく、朝のHRに間に合えば良いという概念で生きていたので「校舎の正門は締まるものの、開けて中に入って全力で教室まで走り、トイレ行ってましたと言えば許される程度の遅刻」である。時間にすればせいぜい1~2分程度のものだ。さて、私はこのことについてどのくらい反省していたかというと、左程何も感じるところは無かった。結局、遅刻はしても授業の単位が足りていれば良いのである。遅刻をすると出席日数が足りなくなるのであれば、私もそれなりの努力をしたのではないだろうかと思う。ある日私がこっそり正門を押し開けていると、生活指導のA先生がこちらを睨んでいた。とうとうバレたのである。
「貴様ッ!何をしている!!」
私はまさかそんな時代錯誤な呼びかけをされるとは思わず、笑ってしまっていた。A先生は野球部の顧問で、体育科の古株で、一度生徒を殴り倒して謹慎を言い渡された事のある経歴の持ち主である。
「いま何時だと思ってるんだ!!」
8:31なのはわかっていた。私がにやにやしているのが余程気に障ったのか、彼はものすごい剣幕で私を怒鳴りつけた。1年生の教室から丸見えなので、私は衆目に晒されながらこの時間が早く終わらないか、と思っていたのである。バレてしまっては仕方がない。怒られるのも当然なのである。しかしながら、A先生は親の敵でも見つけたかのようにあんまりにも私を怒るので、少しからかってやろうという気持ちになってきた。
「どうして遅刻したんだ?え?言ってみろよ?」
「……信号が赤だったので」
折角聞かれたのだから、と返したら彼は口をぱくぱくさせて(人間はこういう時に本当に口をぱくぱくさせるのである)、私の胸倉を掴んじゃったりしたのである。まずい、これは本気で殴られる!という段になってようやく私の中の危機意識が目覚めた(遅すぎる)。かといって特に何をするわけでもなく、もう殴られるんならそれも仕方ないかな、と思った時、彼はこう言ったのである。
「貴様、推薦なんか取れると思うなよ」
私はここで超がっかりしたのである。推薦って。彼はこの学校の生徒が命よりも内申点、引いては推薦を取れるか否かが大事だと思っているのである。まだ殴られた方が幾分かマシだっただろう。そこまで見くびられているのだから、当然、教師と生徒の間には深すぎる断絶のある学校だった。この歪さのようなもの、が私を学校嫌いにした遠因である。勿論、時間通りに学校に行けば良いという話ではあるのだが。その後、私は部活の顧問にこってり絞られ3週間ほど早朝の正門清掃を言い渡され、A先生は卒業式の日にこっそり集合した野球部員達の手によって愛車のクラウンが逆さまにひっくり返されたのだがそれはまた別の話である。そういうことを、思い出した。
【日記について】
なんだかんだ1か月くらいは続いている。割かし時間を食うようで、これを書くと1日の終業みたいな趣きすら感じられる。PCで書く時は長くなりがちなので、やはり携帯端末で記入することを習慣づけたいところだ。アクセス数が出る、ということで折角だから見てみるかと確認してみたが、思いのほか多く閲覧されているようで驚いている(1/3くらいは私かもしれない)。とりあえずは飽きるまでやってみよう、という気持ちである。たまには書き物もしたいのだが、こういう文体で書き物をする癖がついてしまったようで苦戦している。4月になる前に1~2本くらい何か書けたらと思う。