the 雑念

葉一用。とりあえず日記

4/2 テレビのない生活が続きそうなので春の新番組チェックから卒業した件について

【順応について】

適応と順応は明確に区分されるべき概念である。順応は生理的に行われるのに対し、適応はより広範で、どちらかと言えば人の意思が介在する場合が多い。私が今朝6時に目覚めたのも、たった1日の社会人生活がなせる技であったが生憎私は本日は休みなのである。折角なのでいつものように11時くらいまで二度寝させて貰った。

書類の山であるが、これがどうにも筆の進みが悪い。結構細かいことも記さなければならないので、迂闊に書くと訂正印を乱打しなくてはならなくなる。思い出して書く、とかいうのは最悪だ。先方に不備がある状態で何かしらを完成させなくてはならないのも最悪だ。やきもきするのが嫌なので、早々に諦める。これに慣れる、というのが一番の目標なのだが、こればっかりは適応しなければならない事柄なようだ。

【気分について】

私の気分というものは、通常、極めてフラットになっている。特別浮き立つことも、特別沈み込むことも一般と比較してかなり少ない方だと思っている。友人なんかは、それは意図してそうしているのだろう、と言うのだが実際その通りだ。というのも、不意の気分の上下というものは、いずれにせよ自らにストレスをもたらすということが知られているからである。これは本当のことだが、自分が実際それを目論んでいるのかと尋ねられれば、おそらく違うと答えるだろう。端的に言えば、気分によって何かしらの行動が妨げられるのに耐えられないのだ。今日はイライラしているから何も手につかない、ということがあったとして、行動に影響が出るほどの気分の変化は好ましくないし、その気持ちを抱えながら何かを実行するほど私は寛容な人間ではないのである。だからこの場合であれば最初からイライラしないように精神構造が設計されているのが、本当は私にとって一番良いのだが、実際はそうではない。よって、イライラや落ち込み、あるいは気分の高揚なども控えめに抑える試みをするのである。そうして、それは大概、私の見込み通り成功する。

そんな私だが、今日は1日を鬱々と過ごしたのである。久方ぶりだから意外に思った。何故こうも気分が落ち込んでいるのか、全く心当たりがないのである。こんな時に私の日常的な防衛は裏目に出て「自らのマイナスな感情と付き合えない困った人」に早変わりする。数瞬考えてから、「おそらく昨日の仕事に由来することだろう」と見当をつけ、新しい物事に対して不安なのかもしれないとか思うわけである。勿論、それは本当だ。だがしっくり来ないところもある。こういう時に心理学には色々な技法で自分の意識下を推量する手法があるのだが、折角だからその内の一つを用いてみよう、ということでやってみた。

色々なところを省略するが、自分の今の落ち込みはおそらく「喪中」という感じに非常に近しいということに思い至った。モラトリアムの死に対して、喪に服している状態なのだろう、と。さて、これが事実かどうかは置いといて、先程の結論よりはしっくり来るのが私の主観的な真実である。そうやってまた自分を上手く騙したのかもしれないし、それが私の幼い部分からの伝言だったのかもしれない。私はそれが、まあ(認めたくはないが)、事実の一端を担っているだろうと思った。そうすると、ようやく明日明後日の準備をしよう、という気持ちになるのである。休みの度に落ち込まれては堪ったものではないので、早いことこちらにも順応して欲しいものである。

【引っ越しについて】

ということで明日引っ越しをする訳である。親元を離れて生活をするというのは実のところ初めてで、やはりこれにも不安がある。不安だ、心配だ、と述べる場所があるだけ私は良い方なのかもしれないし、自宅も帰れない距離ではない。ラッキーな方だ。それでも後数ヶ月はバタバタと慌ただしい毎日である。ゆっくり時間をとってゆっくり1日を過ごしたいものだ。