the 雑念

葉一用。とりあえず日記

5/21 店員「どんなのをお探しで」僕「壊れないの」店員「……使い方によりますね」僕「修理に持ってこられるのが少なくて、カスタマーサービスへの問い合わせが極力少ないもの」店員(絶句)

【理論値について】

たまには真面目なことを話そう、と思っているのだが今の今まで一度たりとも真面目だった試しがないので手持ちの話がない。昨日は同期の飲み会が例の如く開催されそのまま眠りに落ちてしまった。その中でこんな話を聞いたように思う。同期のA氏の話だ。

「結局、人間というのはどうしても善くなりたいよう思うように出来ていると思うんですよ。そうなれる機会が少なかったり、そういう風に振る舞えたところを誰にも見てもらえなかったり……そんなことが積み重なって、善くないことをしてしまったりする人になっていくって思うんです」

心理学を患っている人間の間で、性善説性悪説は昔からの主要議論の一つである(孟子荀子はどちらもそれぞれの主張からつまるところ、人間の教育が肝要であると同じ結論に達していることはあまり知られていないように思う)。同期のA氏は控えめに言って気の良いヤツである。彼がこんな風に素朴に性善説を主張するというのはある種順当であり、概ねそれが正しいというニュアンスも受け取れる。すると、B氏はそれを受けてこんなことを返すのである。

「でもそれは善い人間しか見てきてないから言えることで、実際どうしようもないとか、どうしたくもないと思わせるような人間だって居るよ。生まれながらに、というのは酷だけども、なるべくしてなる、というのはあると思う」

B氏がこんなことを言うからと言って、彼が皮肉屋であるという訳ではない。彼は我々3人の中で一番真面目で、一番物事に対し真摯に取り組むパーソナリティである。彼は既にどこかで、野放図に広がってしまいがちな人間に対する信頼、あるいは、根拠の無い善良観というもので痛い目に遭ったことがあるのだろうと思う。


で、葉一はどうなのよ。というわけである。


私はこの手の議論は得意とするところではない。

「きっと『人間が悪いことをしてしまう』という従属変数に関しては何かしらの相関を有する独立変数が存在するのかもしれないけれど、それを差し引いてもなお、その従属変数は乱数に過ぎないように思う」

こんなリアクションを返した。これは些かマニアックな解答であるように思う。『実験できないことについては、推測値で物事を断じない』という姿勢は、実は日常生活でかなり重要なスキルである。結局のところ、それは誰にも分からない。犯罪者に共通の遺伝子が特定されたって、それを有する人が犯罪を確かに犯すまで未定であり、未知なのだ。犯罪を犯すまで、彼は回帰直線上に姿を現さない。予測されていることは、予測にしか過ぎないのだ。だから、乱数である、という主張は他の2者よりもある程度の正当性を有している。独立変数が特定されるよりも、従属変数がただの乱数である確率の方が現実場面では圧倒的に多い。

乱数、という解答に同期2人は面喰らったようで、曲がりなりにも修士がそれを言っていいのかという話になった。良いのである。自分の手に負えないことを見極める能力というものが、修士で最も養われる力に違いないと確信している。

【買い物について】

エアコンとテレビを合わせて買うから安くしてくれ、と訴えて今日買ったわけである。高かったが、それなりに安くしてはもらったので仕方がないと諦めた。お給料の3/4くらいは吹き飛んでしまうのである。世知辛い。しかしながら再来週には人間らしい部屋にまた一歩近付く訳であり、これは大きな進捗だろうと思う。前へ進め。