the 雑念

葉一用。とりあえず日記

読書感想文004:『デンデラ』佐藤友哉

〇感想文について
冒頭にあるけれどここは一番最後に書いている。振り向けば佐藤友哉の悪口だらけになってしまったので、それなりに反省はしているのだが、佐藤友哉のファンの方なら多分「分かる」と言ってもらえるのではないか、とも思っている。絶版となってから鏡家サーガを読み切った私の根気に免じて許してもらいたい。その中では『エナメルを塗った魂の比重』が一番好きである。

〇今日の感想文:『デンデラ』/佐藤友哉

・経緯
先日、一週間ほど山奥に籠って研修を受けなければならなかったのである。雪深く、最寄りのコンビニまで10kmあると聞き、人間的生活をほとんど諦めることとなった。幸い、電波と温泉は利用可能であるらしいが、それだけでは間が持たないので手持ちの文庫本を何冊か持って行こうということになり、選抜が行われた。その中の一冊が本書である。懇切丁寧に私の状態を描写したのは、この『デンデラ』の舞台が雪山であり、事情を知っている人はこの采配ににやりとするだろうと思ったからである(ここで正直に言うと然程面白くないな、と途中では気付いていた。本当である。消すのが勿体ないと思ったのである。負け惜しみじゃないぞ)。ところで私は推理小説家としての佐藤友哉をほとんど評価していない。バッサリである。これも読んだことの無い人に説明することは難しいのだが「んー、清涼院流水京極夏彦読むね、じゃあ!!」みたいな感じになってしまうのである。メフィスト賞の墓場的存在だ。あんまりこんな風に書くと作者の『クリスマス・テロル』なんかを思い出すのでここら辺にしておこう。一応鏡家サーガは全部読んだのだが、相性が悪いんじゃなかろうかと感じたところもある。サリンジャーの出し方とかは上手なんだけどな、何でそっちに行っちゃうんだろうと思う訳だ。と散々な書きようだが、決して佐藤友哉が凡庸な作家であるということではない。むしろ、衒学的な、ちょっと嫌味なくらい本を読んでいて、それを引用しまくるところなんかは、分かる人には分かるし面白いだろうと思う。結局は『1000の小説とバックベアード』のように純文学への怒りと憧れをない交ぜにしてぶちまけるような作風が一番性に合っているし面白いのだろう。そんなこんなで、『デンデラ』もこれらに負けず劣らず、作者の意欲作かつ、いつもの問題作なのである。

・あらすじ
『お山』に入り死ぬことで極楽浄土へ行けると信じていた斎藤カユは、同じように『お山』に入り死んだと思われていた老婆たちに命を救われ、姥捨て山に捨てられた老婆たちで作られた集落『デンデラ』に連れて来られる。極楽浄土に行けなかったことへの憤りから不適応を起こすカユ、集落の主権を握り、自分たちを捨てた村への復讐を誓う者、『デンデラ』の調和を望む者、茫洋と余生を過ごす者、様々な思惑が渦巻く中、『デンデラ』を羆や伝染病が襲う。と地獄のような話が延々と続く訳だが、語りがですます調なのでまたそのギャップが愉快である。丁寧な文章はかえって残酷さや人の醜さを際立たせる。また、老婆たちの口調の若々しさも最初は慣れないが読み進めていくうちに硬派な無頼たちが話しているように見えてくるので、一体何を読まされているのか段々と分からなくなってくる。が、テーマは明快で、老婆たちに仮託しながらも社会や個人の生きる意味、そしてそれと全く関係なく厳然と存在する自然を巧みに描いているとか言っておけば良いだろう。それにしても、ここで老婆をチョイスしてしまうところが実に佐藤友哉である。ちなみに柳田国男吉村昭の話を知っていると本当ににやりと笑うことができる。香る程度のペダンティックが作家としての成熟の証だろう。

・みどころ
羆である「赤毛」と斎藤カユの対比構造が骨太なので、ともすると目標を見失いがちな本書のガイドとなる。共に与えられた規範に疑いを持たず、思考せずに生きてきた者同士である。カユが初めて自立した思考を働かせるところから物語は始まり、紆余曲折を経て、ただ本能のまま貪るだけだった羆に一歩先んじる形で物語は終わる。圧倒的な強者として描かれる羆を瞬時、老婆が上回るのは何故か。それは、冷めた目で見ればご都合主義のファンタジーとなってしまうだろう。その解をどこに見出すかによって、初めて読者各々の読書体験となるに違いないと思う。後はとにかく老婆しか出ないし、ほぼ全編奇行になるし、新キャラが出てもすぐ死ぬので諦めないで読んでほしい。私は笑いながら読んだ。

・まとめ
全然まとまらないし、相変わらず前書きが長過ぎる。さては反省する気が無いな?
ビジュアル先行で映画のインパクトも大きいが、原作は意外と落ち着いている。これだけ突拍子もない話しながら、勢いで読ませようとせず、肉厚で(重厚で、と言うには何故か憚りがある)、じっとりと嫌な気持ちにもなる。ちなみに、ちょっとした謎解きもあるにはあるのだが、ネタも動機も結構見え見えで入れなきゃいいのに、という気持ちになったことは内緒である。やはり推理ものは向いていないのだろうと再確認したところだ(ただ、本筋という程ではなく、余興程度なら及第点であるからして、本書そのものの価値を損なうものではない)。雪山に向かう予定のある方は旅のお供に是非本書をどうぞ。羆が怖くなることだけは請け負おう。