the 雑念

葉一用。とりあえず日記

4/17 あらゆる存在了解内容一般を可能にする地平として時間を学的に解釈すること

〇三十路について

 

いつの間にか30歳になっていた。めでたい。

 

最近、高校の時のことをよく思い出す。その頃は自分の将来像をよくイメージできなかった。だから、30歳になる前に死んでしまうのかもしれないと、ぼんやり思っていた。死ぬのではなく、人生が途絶する、というのが一番正しく表現できるように思う。突然自分の存在が無になる、そんなイメージだ。そんなことはないと分かっているので、一番リアリティを感じられる死という観念が、(未だによく分かってもいない癖に)図々しく、割り込んでいる。

さほどシリアスではなかったが、「どうせこの先、生きていたって良いことなんかそんなにないんだから」という諦観が思春期を通じて根強くあったことは否定できない。その時期の若者らしい悲観主義と振り返れば微笑ましいものだ。ただそれは、私のセクシュアリティーとか、それに基づいた将来展望に関係したものでもあった。どうせ人並みに幸せになれないとか、老齢になって孤独に過ごすとか、そういう惨めな状況がだらだらと続くくらいならば、いっそ若く、活力のある状態のまま人生を終わらせたいと思うことがあるのは今でも理解できる。自分のことだし。

現在、状況が大きく変わっているという訳ではない。おそらく私は、しばらくは愛する人もできないだろうし、もちろん、子供など望むべくもない。十中八九、孤独な老年期を過ごすだろう。多様性が謳われる世の中にあって、それでも一般的な人生の喜びを享受できなさそうな見通しだ。それらに絶望していないか、と問われれば、やはり絶望していると思う。つらかったり寂しかったりすることは、どうしたって嫌なのだ。でも、昔よりも素直にそういう弱点を正視できるようになった点は、私が自分を大切にしてきた証として認めてあげたい気持ちがある。

悲観的な将来を打ち砕くべく、何か大きなことを成し遂げたことはない。強い意志や、克己心があったわけでもない。ただ惰性で、30歳まで生き延びてきた。それでも、18歳の私が想像し得なかった30歳になった。それはやはり、言祝ぐべきことなのだと思えるようになった。だからきっとこれは、めでたいのだ。そう思いたい。それで、冒頭に至る。

 

前年転勤となり、現在は運良く社宅に住んでいる。自分の親より年上の古い建物で、無駄に間取りが広い。物を置きすぎると転勤するときに困るので、2部屋は使用しないでいる。数回、後輩達が自室に遊びに来たのだが、その殺風景な私の部屋の様子を見ていつも唖然としていた。曰く、「本当にここで生活しているんですか」。もちろんしていると答えたが、その非人間的な生活ぶり(とはいっても、実際に生活しているのでそこまで異常ではないと思う)にあらゆる心配の声を掛けられた。思えば、私の生き様は後輩達からすれば、どこか投げ遣りに映ったのかもしれない。

つい先日、転勤する後輩らから、やや高価なボールペンをもらった。私が指導役として密に交流があったのは確かだが、さすがにもらえないと一度断った。それくらいの値段のものだ。後輩は言った。

「先生はどうしていつも安いボールペンを使うんですか、と私達が聞いたことがありましたね」

あった。私は廉価な(100均で10本入りのボールペンなど)文房具をいつも使う。失くしても、惜しくないからだ。そう後輩らにも説明した。

「先生は物とか、人とかに、もっと執着するべきだと思います。それで、これなんです」

私は大人しくボールペンを受け取ることにした。嬉しさ半分、戒め半分といったところだった。私はこれでも、様々なものに執着を見せるようになってきたはずだったのだが、後輩らからすれば、まだまだらしい。40歳になった自分は全然イメージできないが、少なくとも、向こう10年は「途中で消えたい」とは思わないだろう。私を知る様々な人とのやり取りやしがらみ、それへの執着が確かにあると、分かるからだ。

 

人生の節目節目で「おめでとう」と言われてきたことに、これまで何の感慨も抱いてこなかったものだが、ようやく三十路になって、漠然と分かるような気がしてきた。存在し続けることそのものに価値があると、他者に認めてもらえているということ、なのかもしれない。まあ別に、誰かに認めてもらわなくったって私は存在しているし、存在できるのだが、人から肯定的に接してもらえることは決して無条件でも、無価値でもないのだ。祝意としてわざわざ表明するだけの価値は十分にあると思う。

折角だからと使い始めた例のボールペンを置くための、ペン立てを選んでいる。そいつが私の机に居場所を作ったとき、少し寂しい気持ちはあるが、慣れ親しんだ悲観主義とはしばらくお別れなのかもしれない。まあ、それできっと良いのだろう。そう思いたい。