the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/9 たらこスパゲッティのことを和食だと思ってるから付け合わせにひじきとかつけてしまう

【失せ物について】

口座振込の手続きをする上で、自分の銀行口座を開設する際に登録した印鑑が必要ということになった。私はこの実印とか印鑑とかいう慣習が大の苦手である。一体このスタンプの一種が何を保証してくれるというのだろうか。なぜ未だにこのようなアナログなシステムが生きているのか不思議なくらいだ。こう文句を並べ立てるのも、私が印鑑を紛失する天才であることに由来する。逆恨みだ。勿論、口座を作った時に押した印鑑など覚えているはずもなく、結局通帳に押印してあるものを見て確認しようと考えた。そうして、カードを使い倒してきた私はふと思い至る。「通帳は一体どこにしまったのだろうか」。

使わないけれども保管しておく必要のあるもの、というのがこの世にはたくさんある。私ももうすぐ24歳、そういう厄介なものをひとまとめに保管している引き出しがあるのだ。めんどくさい、と思いながら捜索を開始する。年金手帳、雇用契約書、パスポート……PCの保証書、友人からの個人的な手紙、高校時代のアルバム……そして、底板。おや…………これはもしかして。

ないのである。

あるべきはずの通帳がない、という状態。それなりの危機である。盗難の可能性を考える。残額2万程度の全く使っていない銀行口座である。まずないだろう。捨ててしまった可能性を考える。いくら常識に欠ける私でも通帳を通帳と認識した状態で捨てることはないだろう。多分。結論としては「この部屋のどっかにあるけどどこにあるのかは謎」ということだ。半ベソをかきながら寒すぎる自室のありとあらゆる引き出しや書類をひっくり返していく。捜索開始から2時間37分後、講義ノートの間にねじり込まれた通帳を発見。無事保護した次第だ。お前、何故そこにいる。危うく通帳を紛失する才能まで開花させてしまうところであった。自身のポテンシャルが恐ろしい。結局半日ほど費やして部屋の整理をするハメになった。

【誕生日について】

私の誕生日は3月の末辺りである。出産予定日は4月だったらしいが、母親が「なんかもうめんどいんで」という感じでもう産めるぞ、というコンディションになった時に帝王切開したということだ。生誕の経緯からして私っぽいエピソードで割りかし気に入っている。

誕生月になると、父方の祖母からお菓子やらお祝い金やらが送られてくる。ありがたいことであるが、24歳になるのでもうそろそろお金は勘弁してほしいところだ(大金ではなく、一回いい感じの夕ご飯が食べられるくらいの額である。かわいい)。お菓子はくださいお願いします。

祖母の贈り物で何が気まずいかと言うと、私の名前を間違えて覚えているところだ。配送先から私宛の手紙まで、漢字の変換がいつも違うのである。私がわざわざ「名前間違ってたよ」とメールで言うのも躊躇われる。そうして、彼女が私の名前を間違え続けて10年目に突入したわけだ。ここまで来るといっそ私の名前ってふたつくらいあるのかな?という気持ちになってくる。真名ってことで。

【『破戒』について】

先月辺り、積んでいる本を何か消化しようと島崎藤村の『破戒』を読んだ。私が紹介するまでもないが、大変良い話であった。この感想には誤りがあって、良い話というのをより正確に述べるならば良い出来ということなのである。

今日そのことを思い出したのは、母親がニュースを見ている時に「かわいそうねえ」と言ったからだ。私は毛布にくるまってうつらうつらしていた。眼鏡をかけてTVを見ると、野球選手が何かしら謝っているところだった。母親の「かわいそうねえ」には色々な反目がありそうな意見である。しかしながら、様々なことを総計すると彼女の中で彼は「かわいそう」とカテゴライズされるようだ。一方私はというと「よかったね」という方向に分類が進む。当人や関係者からしたら全く別方向の結論であるかもしれない。これ以上嘘をつかなくて済むのだから、というのが私の中では大きなウエイトを占めるのだろう。「とても怖い人だった」という言葉の幼さからも、自分の行為の帰結を予期できなかったことも、状況が彼の能力を上回っていたことは想像に難くない(能力の高低には勿論意見もあるだろう)。そこから解放されて、正当に過ちを償う義務と権利を得ることができて、彼はきっと「よかった」のだと思う。

自分の嘘を明らかにする、という連想で『破戒』を思い出したのだろう。知っている人も多いだろうが、『破戒』には2つの物語の側面がある。1つは、主人公・丑松が穢多の生まれであることを隠して生活をしている中で、父の「誰にも出生の話をしてはならない」という戒めを「いつ、誰に対してそれを破るのか」という読み方だ。読者はおそらく、この丑松という青年の煮え切らなさにいらだちさえ覚えるかもしれない。それほどまでに彼は自らの秘密に対して慎重で、それでいて苛まれているのだ。穢多であることの悲惨さ、重要さもさることながら人に打ち明けられない悩みを抱えることの辛さ、難しさが全編に渡って描かれている。私のブログなんかに至る人たちには、共感できることが多い内容なのではないだろうか。2つ目には、当時の穢多の扱いといった、歴史的な変遷を知るという内容である。これも質としては良いかもしれないが、話の展開上、穢多の人たちは良い思いをしない。却って差別を助長する内容だ、と非難する解説もあるくらいだ。テーマとして取り上げたのが穢多であるのが、その誹りの中心である。擁護するわけではないが、主題がどこにあるか、という考えの中で「穢多」だけを中心に据えてしまうとこういう意見になるだろうと思う。しかし、これは穢多の話であったが、現代においても通ずる主題として「秘密をどう抱え、それにどう決着をつけるか」という内容でもある。そういう意味で、『破戒』は現代においても読者に時代を感じさせないメッセージ性を有していると言えるだろう。

話の中でも、私は丑松の親友である銀之助が好きなのである。彼の人間らしさが、この話の多くを救っているとさえ言える(振り返るとそうなのである。質の良いBLなのかもしれない)。