the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/10 いくら持たざる者だと言ってもポケットティッシュを持たざる者は人権を損なう場合がある

【厄日について】

何をやってもダメな日、というものがある。厄日というやつだ。私にとっては今日がその日であったらしい。そもそも今週は初めからあまりまともなエピソードがない。やらかしてばかりである。しかしながらこれはいつものことである。厄日、とは私の行動以外で何らかの不利益を被る日のことで、要するに理不尽な仕打ちを受けやすい日だ。仕事は上手く行かず来週に持ち越し、待っていた友人と連絡は取れず、外出した意味は消え失せ、くしゃみ鼻水はこれでもかと荒ぶり、欲しい漫画は店頭になく、音ゲーのレーティングは下がり、傘がないのに雨が降り始め、よくよく考えたら朝食と昼食を食べ損ねている。そんな感じの1日だった。いまも薬が効かず、眠気だけが私を襲い、風呂に入り損ねて風呂洗い担当に指名されたところである。

こういう日に私は「もうなんだかなあ」と思うものだ。思うだけでは飽き足らず、歩いている最中に呻いたり叫んだりもする。なかなかヤバイ奴だ。そんな日は何か努力をして実りのある1日にしてみたり、帰り道にアイスやケーキを買ってみたりして気持ちを上向きにしたりする人も多いようだ。私はお湯を沸かして砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶を、時間をかけて飲むことにしている。糖分を摂取することは人生における生きやすさという問題の上で重要な鍵となりうる。優雅に紅茶を啜りながら、私は密かに世の中のあらゆる事象に対して悪態を吐くのだ。

【志々尾限について】

精神的に残念なことがあると、無意識に本屋や古本屋へ足が向かう。今日は古本屋へ行き、目当ての本を探していたのだが案の定見つからなかった。折角だから何か立ち読みしよう、とうろついていると丁度『結界師』の棚の前だけぽっかりと人の切れ間があり、よし久しぶりに読んでやろうとなった。

ジャンプよりもサンデーの方が少年マンガを読んでいる気がする、というのは私の非公式な見解である。テイストが昭和なのかもしれない。『結界師』の良守なんかも平成にしては古くさいタイプの主人公像ではないだろうか。そして友人の限である。主人公の友人ポジションとしてここまで美味しい要素の揃っているキャラクターも珍しい。創作物で親友ポジションが好きになることが多い人は、自分の知らない内に主人公格に感情移入している傾向があると言えるだろう。私の素直さが反映されているのだ。

冗談はさておき、私は喜怒哀楽の内のネガティブな感情を隠し仰す技術に優れている方だと自負している(先日のように『嬉』を隠すのは苦手である)。マンガを読んでいる最中でも「限!!!!!!!!」となっていても平然と読み進めることが可能だ。心象風景では号泣している。本当だ。でも最初に読んだときは落ち込んで実験も手につかないほどだった。心的喪失が大きい。友人に「モーニング・ワークが必要」と相談したら「馬鹿にするな」と一蹴された。無常である。今日はそれほどダメージを負わず、しみじみと彼の勇姿を心に刻んできた。「限は強いやつだっ!!!!!!!」って火黒に叫んでた。心の中で。当然隠し仰せている。

【金鍔について】

昨日の祖母のお菓子セットの中に、金鍔が入っていた。きんつばである。実は金鍔を食べるのは生まれて初めてだった。この直方体の食べ物は一体どんな味がするのだろうか……と期待を込めて食べたのだが、おそらくこれはしゃりしゃりした食感の羊羹である。「金鍔 羊羹 違い」でGoogle検索したくらいだ。焼くと金鍔で蒸すと羊羹だよ、というざっくりした回答が得られた。本当かよー、という気持ちもあるが、そもそも和菓子とはどれを食べても同じような味がするものだという暴論に至る。あんこだし。

そんな話をしていたら弟が先日、落雁を食べた話をしてくれた。「なんだかきな粉を固めて正方形にしたような食い物だった」とのことだ。葉一家の食生活とはこんなものである。