the 雑念

葉一用。とりあえず日記

4/30 毎週ユニクロのパンツ買ってる気がしてきて数えたら13枚箪笥にあったんだけど怖い

【回想について】

手前味噌で大変恐縮だが、最近「記憶力良いですね」と言われることが多い。これは多分、職業柄特化しつつある能力の一つであり、誰がどの文脈で何を言っていたのか、という口頭での聴覚的な記憶の話である。厳密には違うが、エコイック・メモリとか呼ばれる記憶の種類と似ているものだ。

記憶というのは不思議なもので、と記憶について書き始めたらこのまま朝を迎えてしまいそうなので割愛する。私の精神は後ろ向きであるからして、過去を彩り豊かに歪めながら記憶を鮮明に保つのが上手であるように思う。そうして、ぼんやりとした時に私を通り過ぎていった数々の人々をゆっくり回想するのが好きなのである。それから、きっと何人かは死んでしまっただろうとか、きっと何人かは子供ができただろうとか、きっと何人かはお金持ちだろうとか、きっと何人かは病院暮らしだろうとか、そういうことを考えるのが好きなのである。高校生の頃からそういう癖はあったように思う。どうしようもなく他者から遠くありたいのにどうしようもなく他者を見ていたいという欲求が、私を心理学の道に導いたとも言える。そうすることで何かしら自分自身の輪郭がわかるのではないか、と期待していたのかもしれない。そして偶に、今でも何かを期待して私は回想に耽るのかもしれない。ところで、私の知覚できないところで私の知覚していた人が現在進行形で存在する、というのは裏付けのない確信で、一種哲学めいた命題すら提示しそうな趣さえあるが、それは私の中の世界の連続性に対する頑健さが足りないからなのだろうと結論付けたりする。しかしながら、2度と会わない人間ならば別れてからは互いの人生の軌道上では互いが死んでしまっているのと大きな差はないとも思うのである。

だから、彼は元気でやっているだろうか、なんてセンチメンタルな気持ちが湧き上がってしまった際には潔く切り捨てるしかない。これからそういうことがたくさん増えるのだろう、と思う。それともいちいちそんなこと覚えてられないくらいなのだろうか。いずれにせよ、私の記憶の特出点は聴覚であり、言葉であるらしいから、それが私の中に澱のように溜まっていくイメージを早々に払拭しておきたいところだ。