the 雑念

葉一用。とりあえず日記

5/13 弟「結婚する夢見たんだけど」僕「寝言は寝てから言って欲しいんですけど」

【失敗について】

花金ということで今日も飲み会に出かけたわけであるが、結局書類も書けず勉強もできず洗濯もできないという多重苦の中、疲れた体を布団に横たえているわけである。無論、このままで良いわけはないのだが、致し方ないところもあり、大人しく寝転がっている。

飲みの席では「今までやらかした失敗談」のような話になっていた。といっても、同期たちの失敗談などはささやかなもので、笑い話になるくらいのものであるから面白おかしく、おそらく多少話を盛りながら、つつがなく宴は進んでいった。

私の番、ということになり、何を話したものかと少し考え込む。失敗、とは何をもって失敗とするのか。私は失敗に関しては一流であると言っても過言ではない。あんなことやこんなことで、意図せず、あるいは不如意に、もしくは自分以外の誰かの働きによって、失敗し続けてきた。

折角なのでとっておきの失敗談を話してみた。この場では語れないような、センシティブな話である。抽象的に表現するならば、自分の能力と期待される能力の齟齬といった問題であり、自分と自分以外の誰かとの接触や相互理解といったことの難しさ、そして、生来の人間の脆さのような問題であるのだろう。それらは乗算で失敗の確率を高めてくる。失敗を思い出す。そこから学ぶ、などという美辞麗句が通用しないくらいの強さの後悔や恐怖感といったものさえある。失敗と撤退。それは生きる上で行うべきストラテジックな方略の一つであり、手放しの後退を意味しない、と思う。そうであって欲しいと思う。それならば、私とこれから出会うべくして出会う困難を抱えた人たちに、撤退の選択を提示することができるだろう。私の失敗に関する意義を見出す、たった一つの冴えたやり方なのである。