the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/12 我が家の炊飯器の呼称は『ザク頭』である。用例)「18時にザク頭セットしといてー」

【曜日感覚について】

こう長いこと学生生活を続けていると、時間感覚が曖昧になってしまい曜日の感覚もなくなってくる。最近は電車の混み具合などで「ああそうか今日は土曜日だったのか」と気がつくくらいである。春は大抵、時間を定められて何かをやることがないから尚更だ。自分の気の向く時間に気の向くことをやれば良い。空虚で同質な時間の広がりを愛している。私の発達を遅らせている原因はおそらくここにあるのだろう。変化しないことが人間に本能的な快をもたらすことはわかっている。早々にこの感覚からおさらばしたいものだ。さもないと、夜の都会の賑わいの中に単身突入してしまう事故を起こしてしまう。今日も待ち合わせの人の波を潜り抜けたところだ。人酔いはしない性質だが、毎度毎度この楽しそうに笑う大量の人々を見ると鬱屈とした気持ちにさせられるのもまた事実だ。私の使うターミナル駅の休日の夜は、雑多な人に溢れている。大人になりきれない人や大人なのにそれほどお金がなく、それでいて人と戯れたい人が集まる場所なのだ。年末年始もなく人がいつも寄り集まっていて、「ほらここに来ればいつでも楽しいだろ?」と訴えかけてくるような場所だ。いつも同じ顔をし、いつも同じ楽しみを持っている。買い物をするにはうってつけだが、それ以上に娯楽に対する飽食を感じさせる。6年以上の付き合いになるが、私はもうお腹いっぱいである。それは、どうしようもない閉塞感のようなものだ。この場所もまた、曜日感覚をとうの昔に失ってしまったに違いない。

【ボスについて】

ボスが卒業に寄せてケーキと紅茶を振舞ってくれる、ということになり研究室一同の予定を合わせている。Herbsというケーキのワンカットがやたらデカい店である。私もムシャクシャした時に衝動に身を任せて買ったことがある。めちゃ美味いのだ。がっつり酒の味がするものもある。

ボスは控えめに言って可愛い老人である。お茶目な一面もある。勿論、そのお茶目やうっかりで私や先輩を窮地に立たせることもしばしばある。昔、先輩が書いた実験計画のフローチャートの中に「ボスに見てもらう→リジェクト→ボスを燃やす」というメモ書きがあり、私の心中が騒然とした事件があった。ボスはそれを発見して「僕は焼死だけは嫌やねん、他の方法にしてくれ」と穏やかに言っていた。笑ったものかどうか思案していたら、後輩が「何でですか」といらないことを訊く。「ふふ、僕イスラム教やから……ああ、ごめんごめん冗談や冗談wwwwwふふwwwwwwこんなん怒られてしまうwwwww」。お茶目である。これをお茶目で流せる人だけが彼の研究室に配属されるのである。ボスの名誉のために言っておくと、オフィシャルの場ではまともな応対が出来る人だ。研究室一同ボスが悪ふざけをしないかドキドキして見守っているのだが、学会なんかではごく普通だ。器用な人である。

【A君について】

なんでもかんでもA君にしてしまうのは職業柄仕方がない。昔、塾で講師のアルバイトをしていた時に受け持っていたA君と地元の駅でばったり出会った。かれこれ2年ぶりくらいの再会で、彼は高校2年生も終わりに差しかかっているところである。月日の流れは早いものだ、と感心している。

臨床像というのは専門用語に類するものらしい。彼はずんぐりした体格の、明るいムードメーカーといった雰囲気の男子だ。声が大きく、クラスに1人はいるやかましい賑やかし。そんな感じである。たしか柔道をやっていたと記憶している。彼は数学が苦手で私の勤める塾にやってきた。私は彼に数学を2年間教えることになる。彼はわがままで、甘えん坊で、それでいて思春期の男子だった。遅刻や宿題忘れなんかは常で、でもテスト前になると私に泣きつくような奴である。愛嬌があるから男女問わず友達も多かった。私は彼にものすごく手を焼いた。勉強は捗らないが、結果が悪いとしょぼくれて塾にやって来る。こいつは勉強向いてないな、と思っていた。

私は熱心な講師ではなかったが、生徒の成績を上げることに関してはそれなりの能力があったようだ。どう選出されるのかは不明だが、功労賞的な何かで本社の偉い人から良い感じのボールペンを頂いたことがある。趣味が合わなかったので使わなかったが、塾長がとても喜んでくれていた。A君もさすがに1年近く教えたところで数学のテストは平均以上取れるようになり、それからは偏差値で言えば60〜62をうろうろするようになった。入塾当時を思えば相当な進歩だったが、私としては1年間塾に通っているのだから人並みになって当然という思いもある。そうして彼は、B高に進学希望を出した。偏差値で言うと60くらいのところで、数学のみに関して言えばこの調子でやっていけば十分見込みのある選択である。しかしながら、彼はそれ以外の教科が却って奮わず、このままだと進学は難しいというのが大半の意見であった。

「ちょっと相談してーんだけど」

と彼が授業後に言うので、私は時間を取ることにした。9月も終わりに差し掛かった頃である。進学についてだった。進学関係は塾長が取り扱うことになっているので、塾長に言ってくれ、というようなことを言った。すると「よういちじゃないとダメなの」と言う。めんどくさいな、とは思ったが相手は多感な中学3年生なので別室で彼の話を聞くことにした。

曰く、学校の先生も塾長も両親も、1ランク下のC高に行けと言う。しかしA君はなんとかB高に行きたいという気持ちがある。だが家計に余裕がないので、滑り止めは受けられずB高に落ちてしまったら高校生になれない可能性があるかもしれない、とのことだった。これは彼のたどたどしい説明を整理したものであり、実際の話はもっと回りくどく、もつれていた。実は塾長からその話は聞いていたので、私は彼から言われるまでもなく全てを知っていた。私は「そうか」と一言だけ返した。それから少し経って「ままならないな」と言った。よく意味は伝わらなかったようだった。

それから、なんと言ったものか、と考えあぐねる。A君はぼそっと「オレ頑張ってるよな?」と私に尋ねた。私は「頑張ってるな」と返した。彼は俯いて頷いていた。いつになくしおらしく、励まして欲しいのだろうということは私にも伝わる。「いまはまだ迷う権利がある、と思うんだよ。その後、十分考えてから自分で決めたら後悔は減るかもしれない」。ああ月並みなことを言ってしまったな、と思った。

「オレが落ちたらさ、よういちどう思う?」

「落ちた、って思う」

「そりゃ思うでしょ……それ以外は?」

「うーん、残念だったねみたいな?」

「思わねーだろ」

「思ってないかもわからない」

「中卒って馬鹿にするだろ」

「あーどうかな。そしたら遊びに行こう」

「は?遊びに?」

「暇でしょ多分。だから俺と遊びに行く。それで俺には中卒の友達いるんだぜ、って自慢するから」

変なの、とA君は笑っていた。それからどこに遊びに行くか、という話になった。免許取立ての私の運転で海に行く約束をした。命知らずだ。

「でも遊びに行ったらよういち上の人に怒られるでしょ」

「怒られたって遊びに行きたいんだからしょうがない。俺はね、お前が思ってるより100倍くらい悪いヤツだよ」

だからもう帰りな、と言って彼と別れた。彼はそれからものすごく勉強に熱心になってB高に合格した、なんてことはなく、結局親の説得に負け勉強したくないと叫きながらC高を受験しなんとか合格した。やれやれ、大変な奴だったよ、というのが当時の感想である。

こんなことを思い出したのも、今日会った時に「そういえばいつ海連れてってくれるんだよ」と彼が言ったからだ。それまでそんなやりとりがあったことをすっかり忘れてしまっていた。「高校生は友達としてレアリティが低いから行かない」と返した。「行かねーのかよ!」と彼は笑っていた。高校は楽しいようである。重畳重畳。