the 雑念

葉一用。とりあえず日記

3/13 友人「手羽先を骨ごと貪り食う文化圏の人だ」僕「事故だよ信じてくれ」

【飲み会について】

飲み会だった。飲み会が得意な人を周りで見たことがないので、盛り上がっている飲み会というのは居酒屋の所有しているアンドロイドがやっているのではないか、と思うほどだ。飲み会の悲しいところは、お酒を飲む人とそうでない人の差が激しいところである。私は諸事情によりお酒をそれほど飲んではいけないと通達が出ているので、割り勘で負けるタイプの人間だ。そうすると、お腹も膨れず酒も飲めず、ただ漫然と流れ行く時間を眺めているだけになる。人間の繋がりを維持するための時間、と割り切る気持ちが肝要だと父が言っていた。父も飲み会が大嫌いで、とっとと帰宅の途につく男であったがやはり飲み会に出席している同期の方が良い思いをしやすいらしく、自分の選択を後悔はしないが世の中にはそういう接続の(彼は独特の言い回しを好む)仕方もあるのだということを知っておいた方が良い、とのことだった。繋がりとは自分で紡がなければなかなか得られないものなのである。

【可能について】

父が変わった人であることは疑いない。私は彼から役の立たないアドバイスを星の数ほど受け取ったが、役に立たないのでそのほとんどを取り落としてしまった。

今日の飲み会にはこれから教職に就く人がおり、私も教育系の心理学を学んでいたので少しその関連の話をすることになった。

「ね、よういち先生。子どもによく訊かれませんでしたか?『なんで勉強する必要があるの?』『これ将来役に立つの?』って。僕もそうで、未だに思いますもん。こういう時なんて返します?」

ベタな意見だが、中学生なんかのほとんどはこういったことを言ってくる。子どもは大人のリアクションを見て様々なテストをするのだ。「あ、こいつは頭固いから嫌いだな」とか「思ったより賢いぞ」というのを無意識に判別しようとする。弟も、父にこの質問をしていたことを思い出した。私は高校生だったが、父がどんなふうに答えるのか興味があった。「出来ないより出来た方が、カッコいいだろ」と彼は素っ気なく弟に言った。弟は膨れていた。私は笑ってしまったのだが、それも一つの真実であるように今となっては思う。何事も出来ない状態であるよりも、出来る状態にある方が人生においてより有利に働くかもしれない。そんなあれこれを「カッコいい」という最高にどうでもよくてバカっぽい言葉にまとめてしまうのが父だ。私はこれを気に入り、様々な場所で援用してきた。数少ない、父からの使えるアドバイスである。

「数学出来ないより出来た方がカッコいいよ、って言います」

相手は笑って、変わってますね、と言っていた。やはり父は変わっているのである。

【ケーキについて】

飲み会の後は1人でこっそりと喫茶店でケーキを食べる慣習がある。居酒屋のスイーツでは満足できないのと、温かい飲み物を入れることで胃に何らかの良い影響があるのではないかと勝手に期待しているのである。

予想よりも安く飲み会が終わったので、椿屋珈琲店に行った。遅くまで開いているし、だらだらしても何も言われないので気が楽なのである。あとなんかリッチな気がする。ケーキを選ぶ時に、期間限定のキワモノを選ぶか、スタンダードなショートケーキみたいなものを選ぶかで迷う。椿屋珈琲店で2つケーキを注文するような余力があれば良いのだが、如何せん食後である。必要十分な量を得られるのが最適解だ。今日見た期間限定のものは「みたらしホワイトチョコなんとか」であり、やや冒険しすぎる危険があったので大人しくショートケーキにした。みたらしタルト怖い。

本当は幾人か飲み会から誘ってくれば良いのだが(そういう時もある)、集団で行動した後には1人あるいは少数でいる時間が多少必要なのである。要するに疲れてしまうのだ。1人でいると少しずつ元気になる、気がする。パーソナリティの修復を図っているのかもしれない。