the 雑念

葉一用。とりあえず日記

5/3 父「今日の1位は捻挫のアナタ!ラッキーアイテムはギプスとバンテリン!!」僕「さすがに笑った」弟「自らの捻挫をネタにしていくスタイルだ」

【体調について】

体調が思わしくない、というのはしばらく続くようなものであり、なかなか完治しない。ともすればこのようなコンディションが常日頃から続くと思った方が賢い心構えであるかもしれない。今日は休みだったので自宅で昏々と眠らせてもらうことにした。よく考えれば1ヶ月ちゃんと社会人らしく活動してきたのであり、そのストレスたるや絶大だろう。こうして力尽きて倒れるのも仕方がないというところはある。自身の体調に寛大であれ。研修もまだまだ続くわけであるが、無難に乗り切りたいところである。と言っても、同期と比較するならばまだ危なげなく研修内容をこなしていると思う。このように単独の状態で体調不良がどっと出るのは甘え下手の最たるポイントなのかもしれない。

【書類について】

研修中にも自属の会社では書類が大量に溜まり、たまに顔を出して処理しなければならないらしい。今日片付けてしまうつもりだったのだが、やはり眠たいので今度、ということになった。あんまり溜めると郵送されてしまうらしいので、それだけは避けたいところである。書く書類も超重要なものから町内会の参加届まで幅広く、フィルタリング機能のようなものは全く期待出来ないようだ。とにかく机上に15件の書類が溜まっている、というのがショートメッセージで上司から届くという塩梅である。GW取ってくれ頼む、という感じだ。

【飲み会について】

そう、飲み会である。同期と飲み会、というのはもう仕方のないものの一つなのだろうと割り切っている。今週、来週、再来週と各2回ずつくらい入れられている。特段飲まされるようなこともないクリーンでエコな職場なので、同期間で飲むことはさほどストレスではない。出費を除けばではあるが。睡眠時間が削られてしまう、というのも地味ながらかなり損失としては大きいのかもしれない。1人で居たい時間、というのは研修生活ではなかなかに得難いものである。適度に孤独で適度に群れる、というのが理想形ではあるが、なかなかどうして集団はそういう横着な人間を許さないところがあるということも十分に理解しているつもりだ。集団とは、そういう煩わしさを伴うものなのであり、それを構成する自分を認めなければ上手く適応出来ない。やはり、高校生以来のもどかしさと厄介さを感じる時もある。そういう気持ちと再会するのは新鮮だ。どうしようもなく、持て余す感情であっても、高校生の時はそれと曲がりなりにも付き合って生きていたことを思い出させてくれる。あの頃の私は我慢強く、我慢くらいしか取り柄のない人間だったのだろうと思う。いやいや、そうでもないかもしれない。めんどくさがりで、反抗するのもめんどくさいから適当にやり過ごしていた気もする。6年経った現在、そう持ち札が変わらないところは残念ではあるが、本音と建前を使い分けたり、適切な距離を置くということに関してはスキルフルになったのではないかと思う。上手くやり過ごす、というのは間違いなく良い適応だ。その場で適応出来なければそこから撤退することさえ、マクロで見れば良い適応であることだってある。人間万事塞翁が馬、という言葉を引用しておくのが適当だろう。飲み会に来られないくらい衰弱した同期氏を思い浮かべる。彼はなんだかとても疲れているようで、まあ、これ以上特に表現のしようがない。疲れているのだ。私もそこそこ疲れてはいる。研修は普通に受けられるくらいの疲れだ。彼は残念ながらそうではないようである。他にも何人か、そういう人がいる。特殊な環境であることはまず間違いない。私という個がとても疲れているということをまず認めること、次に適応についてよく考えること。この二つがおそらく求められているのだろうと思う。人の心配ばかりしているわけにはいかないが、それでもやはり、無責任ながら心配することもやめられない。そうしてまた、集団についての思索に耽るのである。