the 雑念

葉一用。とりあえず日記

5/23 僕「実際空気の綺麗さというのは人間のどの知覚に働きかけてそう実感せしめるのか考えたことはあるかい?」同期氏「ない」僕「持論では視覚」同期氏「やめるんだ」

【遠足について】

ということで、研修のカリキュラムの内容に遠足のようなものが含まれているのでそれに来ている。慌ただしいことである。疲れからか黒塗りの車にぶつかりそうな感じである。

ところで、同期のB氏の体調が優れず、遠足先に着いて数分で強制送還されるという大変ショックな出来事があった。私はそれを横目で漫然と見守っていたのだが、彼はどうも頑張り過ぎるところがあるので心配である。私にも何かを懸念したり、心配するという機能が備わっていたようで安心した。

そこそこ研修内容におけるウエイトの大きい遠足であるからして、彼は今頃自宅で悶絶しているであろうことは想像に難くない。彼のために土産でも買って帰ろうか、と思ったが傷口に塩を塗りそうで断念した。数年後にA氏と一緒にいじるくらいが丁度良さそうな塩梅である。

衛生という観念がすっぽりと抜け落ちたような居室(なおこの部屋には成人男性12名が詰め込まれている)、でこれを書いているのだが、そろそろバックライトが迷惑がられそうなのでこの辺でおしまい。

5/22 弟「You may die in my show」僕「Vシリーズなら朽ちる散る落ちるが好き」弟「握手」

【回想について】

労働、と言ってもまだ1ヶ月半くらいしか働いていないし、研修ばかりなので特にこれといった仕事もしていない。掃除の仕方とか、報告書の書き方とか、法律とか、そんなことばかりが山のように押し寄せては毎日が過ぎていくというような感じだ。いつの間にか給料が振り込まれ、いつの間にか減っていく。漠然と抱いていた大人にかなり近づいたのではないかと思う。内面ではなく、外側の話ではあるが。

高校生の時に、なんでこんなに毎日が単調なのだろうと思っていたことを思い出す。驚きもなく、可もなく不可もない、そんな毎日。大人になれば何か変わるのだろうか、とか思っていたのではないかと振り返ってみたが、そんなに能天気だったわけでもなさそうだ。漫然と紙パックに詰まったリプトンのミルクティーを啜っていただけだ。大人にも子供にもなりたくないなー、と思いながら、でもこの状態が一番嫌だなー、と思っていた。あの窒息感は何だったんだろう、と今になって思う。

その頃よく見ていた夢を思い出す。図書室の床に自分が倒れている夢だ。春のうららかな日差しが差し込んで、カーテンがパタパタと揺れているその真下で、私は床にうつ伏せに倒れている。起きようかな、と思うのだが、四肢に力が入らない。おかしいな、と思うと、自分の左胸からたっぷりと血がこぼれ落ちていることに気が付く。図書室のリノリウムの床に、じわりじわりと血溜まりが広がり、私のワイシャツと学ランはどんどんと生温く濡れていく。足や手の先が冷えてきて、ああ死ぬのかな、と思ったところで目がさめる。大体いつもこんな調子だった。

私の中の病理、と書くと大袈裟だが多少はそういうものも混じっているのだろうと思う。夢とはそういう性質のものでもあるからだ。だが、自分が死ぬ夢というのは目がさめることによる復活、あるいは再起・成長を示唆すると解釈する向きもあり、何かしらの転機や環境の変化の節目に見ることが多いという意見もある。勿論、私はこんな見解には反対だ。知識として有しているだけである。倒れている、という夢は他にも幾つか見る。自分で立つということが困難な人間であることは疑いなく、無意識も一生懸命それを意識に伝えようとしているのかもしれない。私はいつか自分で立ち上がらなければならない、と。

さて、突然こんな話をすると疲れているのか、などと思われてしまうのではないかと思う。疲れていないかと尋ねられれば、疲れてはいるのだが、別に何か特別な事情があるわけではない。そういうことをよく考えるタイプなのだが、いかんせんどこにも披露する機会が無いだけだ。人の夢の話ほど面白くないものはないからである(私は面白いと思うのだが)。

5/21 店員「どんなのをお探しで」僕「壊れないの」店員「……使い方によりますね」僕「修理に持ってこられるのが少なくて、カスタマーサービスへの問い合わせが極力少ないもの」店員(絶句)

【理論値について】

たまには真面目なことを話そう、と思っているのだが今の今まで一度たりとも真面目だった試しがないので手持ちの話がない。昨日は同期の飲み会が例の如く開催されそのまま眠りに落ちてしまった。その中でこんな話を聞いたように思う。同期のA氏の話だ。

「結局、人間というのはどうしても善くなりたいよう思うように出来ていると思うんですよ。そうなれる機会が少なかったり、そういう風に振る舞えたところを誰にも見てもらえなかったり……そんなことが積み重なって、善くないことをしてしまったりする人になっていくって思うんです」

心理学を患っている人間の間で、性善説性悪説は昔からの主要議論の一つである(孟子荀子はどちらもそれぞれの主張からつまるところ、人間の教育が肝要であると同じ結論に達していることはあまり知られていないように思う)。同期のA氏は控えめに言って気の良いヤツである。彼がこんな風に素朴に性善説を主張するというのはある種順当であり、概ねそれが正しいというニュアンスも受け取れる。すると、B氏はそれを受けてこんなことを返すのである。

「でもそれは善い人間しか見てきてないから言えることで、実際どうしようもないとか、どうしたくもないと思わせるような人間だって居るよ。生まれながらに、というのは酷だけども、なるべくしてなる、というのはあると思う」

B氏がこんなことを言うからと言って、彼が皮肉屋であるという訳ではない。彼は我々3人の中で一番真面目で、一番物事に対し真摯に取り組むパーソナリティである。彼は既にどこかで、野放図に広がってしまいがちな人間に対する信頼、あるいは、根拠の無い善良観というもので痛い目に遭ったことがあるのだろうと思う。


で、葉一はどうなのよ。というわけである。


私はこの手の議論は得意とするところではない。

「きっと『人間が悪いことをしてしまう』という従属変数に関しては何かしらの相関を有する独立変数が存在するのかもしれないけれど、それを差し引いてもなお、その従属変数は乱数に過ぎないように思う」

こんなリアクションを返した。これは些かマニアックな解答であるように思う。『実験できないことについては、推測値で物事を断じない』という姿勢は、実は日常生活でかなり重要なスキルである。結局のところ、それは誰にも分からない。犯罪者に共通の遺伝子が特定されたって、それを有する人が犯罪を確かに犯すまで未定であり、未知なのだ。犯罪を犯すまで、彼は回帰直線上に姿を現さない。予測されていることは、予測にしか過ぎないのだ。だから、乱数である、という主張は他の2者よりもある程度の正当性を有している。独立変数が特定されるよりも、従属変数がただの乱数である確率の方が現実場面では圧倒的に多い。

乱数、という解答に同期2人は面喰らったようで、曲がりなりにも修士がそれを言っていいのかという話になった。良いのである。自分の手に負えないことを見極める能力というものが、修士で最も養われる力に違いないと確信している。

【買い物について】

エアコンとテレビを合わせて買うから安くしてくれ、と訴えて今日買ったわけである。高かったが、それなりに安くしてはもらったので仕方がないと諦めた。お給料の3/4くらいは吹き飛んでしまうのである。世知辛い。しかしながら再来週には人間らしい部屋にまた一歩近付く訳であり、これは大きな進捗だろうと思う。前へ進め。

5/19 僕「今日何日?」同期氏「19日」僕「素数だ」同期氏「もうやだなんなのこわい」

【勉強について】

勉強が嫌いな人間であるがそれ以上に負けず嫌いな人間でもあるので、いよいよ困難なテストを控えた前日こうして少し夜更かしをして課題に当たっている訳である。一夜漬けという勉強法は平たく言えば全習法に当たる訳で、分習方より短時間で効率よく記憶を維持できる方法である、と思う(しかしながら長期的な観点から分習法の方が長く事柄を把持できるというメリットもある)。刹那的な生き方なので、これで良いのである。学習効率と記憶曲線には実は何も関係がないのではないか、という疑問もあろうが、ここで詳しく話し出せば夜が明けてしまうのは確実なのでここらへんで寝るのである。エビングハウスが凡人で良かった、という心理学徒御用達のジョークを置いておく。

5/18 先輩「研修は五体満足で帰ってきてくれれば文句なしだから」僕「わっかりました」同期氏「もう既に心がやばいです」先輩「薬キメろ」

【飲酒について】

前日に引き続き、今日も飲み会である。毎日毎日飲み会である。すごい。体力が保たない。たっぷり寝てたっぷりぼんやりすることでパフォーマンスを維持している。風邪や偏頭痛、下痢といった諸症状が研修員の中で横行し始めているが誰も気にしない。端的に言ってやばい状況である。デスマーチ感が半端ではない。重ねてテストがある。赤点が大量に出る。補講者をさておいて飲む。この繰り返し。1週間正気でいられず、今日が何曜日なのか分からない者さえ出現する。一種の極限状況であり、ヤスパースも膝をがっくり落とすことだろうが、週の真ん中水曜日はこんな感じである。早く休みが来い。

5/17 眠すぎて顔面にiPhoneを落とす刑に処せられている

【飲酒について】

ささやかなパーティー的なものが催されたのだが、パーティー嫌いの私としては苦難の連続である。何故週の半ばに開催するのか小一時間問い詰めたいところだが、とにかく飲酒量が大変なので現在も酔っている状態でこれを記している。眠たい。明日も普通に研修が続くと考えると暗澹たる気持ちになるが、なんとか無難に乗り切りたいところである。もう眠いので今日はこの辺でおしまい。

5/16 僕「今日も草刈りから1日が始まる」同期氏「とてもつらい」僕「毎日毟られても生き生きと育つ草に何かしらの含蓄を見出しそうになる」同期氏「考えない葦になりたい」僕「そんなんただの葦じゃんもう」

【給与について】

お給料が出たのである。明細を貰って初めて気がついた。カードの引き落としと時間差があるので、なかなかお金持ちになったような錯覚に陥るが、この調子で浪費すると月末に泣きを見るのは明らかなので慎重を期すこととする。椅子も買ったことだし。エアコンも買うことになるし。エアコン、TV、冷蔵庫を揃える旅に出かけなければならないのである。3つ買うから割り引いてくれ、とか言ってみようかと思う。

【課題について】

基本的に私は平日勉強をする習慣がない。平日は業務や研修課題が日中みっちりと詰まっており、その後の数時間をまさか勉強なぞに充てるとは思いも寄らないという訳である。しかしながらテストも近い。今度は平日のなんでもない日に行われることになった。ノー勉で挑む、というのは高校以来の暴挙であるが、賃金やボーナスに影響が出ることを鑑みると、なるだけ普通の点数に収めたいところだ。仕方がないからパラパラとテキストやプリントを眺める。このようなアプローチで記憶が出来るなら良かったのだが、生憎私は「興味がないけれども覚えたいことは写経しなければ覚えられない」というオールドタイプの人間なので、裏紙やらルーズリーフやらに本文を写経することから勉強が始まるのである。ちなみに興味があることはもう少し簡単に覚えられるが、それはおそらく誰でもそうなのだろうと思う。こうして人間の個人的な興味関心が特定の記憶の定着率に優劣を付ける、という仮説はなかなか面白いのではないかと思う(でもエピソード記憶とかで誰かやってそう)。写経すれば短い期間ではあるが、かなりの記憶成績は良くなることが私個人の場合概ね立証されている。1.5hで1テストの勉強を抑えたいのだが、同期氏は既に20hをこれに費やしているらしいのでこのことは極秘である。