the 雑念

葉一用。とりあえず日記

8/6 『もしかすると強靭さとは、自信や力や技などよりも、そういった穏やかさに宿るのかもしれないな』まで引用しようと思ってどの本で読んだ文章なのか忘れちゃった

【ご無沙汰について】
2か月ぶりなのである。これには深い理由がある訳でもなく、ただ単に『自分がブログを書いていたことをすっかり忘れてしまっていた』ということに起因する(ポンコツか)。特段、待ち望んでいる読者がある訳でもないのだろうが、自分の考えたことなんかを吐露する場を失うのは惜しいという思いもある。そのような理由から、こうしてメモ帳を開き、キーボードを叩き始めた次第である。間隔を埋めることはできないだろうが、簡単にこの2か月の近況報告をしておきたい。
一言でまとめると「研修が終わり、自分の仕事に戻った」。これに尽きる。毎日が忙しく、新しい業務との闘いの日々である。嫌だと思っても新人の課題みたいになっているのだから仕方がない。悪態をつきながら言われたことは何でもやってみている、というところだ。得体の知れないスキルが着々と向上していく中(先日は炎天下の中で芝刈り機を担いで芝を綺麗に刈るというスキルを身につけた)、夜は倒れるように寝て、朝はゾンビのように起き上がる。そんな毎日である。
このように書くと、新人らしい洗礼を受けているとか、あるいはひどい仕事に就いてしまったとか、もしくはこの根性なしめとかそんな感じのことを思われる方もいるかもわからないが、実際のところ全部当てはまっていると思うので返す言葉も無い。しかしながら、冷蔵庫やPS4を買い揃え、nasneベルセルクを録画し、休日はポケモンGOに勤しみ、帰れば冷房の効いた部屋でまったり過ごしているので、入社4か月目と考えればまだまだ余裕が残っている方なのではないかとも思う。強がりではない。本当だ。
1年目らしい生活を、良くも悪くも送っている。それが気恥ずかしくもあり、どこかもどかしくもある。出来ないことを減らして、出来ることを増やす。そういう風に生きている。

【強さについて】
仕事柄、大変な目に遭ってきた子供に会うことが多い。昨年、一昨年もそうであったが、就職してからこれが本格的に加速してきた。
個人情報なんかのしがらみもあり、勿論ここで具体的な話をする訳にはいかないのである。「本当にいま、目の前に生きて座っているのが奇跡とも思えるほどの酷さ」とでも表現しておこうかと思う。これは私の先輩の言葉だ。
冷静に考えて、子供というのは強靭な生き物である。普通が分からないからこそ、異常な親や異常な環境に耐え得るのである。そうして、客観的に見てとんでもない人間に育っていくこともある。ここで驚くべき点は、そのような少年少女でも必ず大人になるということだ。彼らの成長を妨げることは、明確な殺意が介在しない限り現代日本においてはほぼ不可能であるように感じる。
そういう子供と毎日会う訳である。それが仕事の一環と言える。大人になりかけながらも、中身と外身のアンバランスさに混乱しているような人達である。彼らは優しくされるのに慣れていないので、私のような立場の人間に会うと、警戒してわざと嫌われるような行動をとってみたり、あるいは、もっと好きになってもらおうと私の前でものすごく良い子に振る舞おうとしてみたりする。そうして私は、目の前の彼らが、想像以上に深い傷つきを抱えているということが、段々と分かってくる。窒息してしまうくらいの苦しさを、本当に感じることもある。これは私が敏感だとか、高い技量を持っているという訳ではない。誰だって彼らを目の前にしたら、言葉を失うと思うのだ。
諫言は禁句である。これ以上彼らを糾弾すると、本当に一人きりになったような気がしてしまうだろうから、彼らを諌める言葉は誤りである。
慰めも禁句である。自分が酷い目に遭ってきたということに、目を閉ざして生きてきた人たちであるから、徒に可哀想で括るのは誤りである。
彼らとどうやってコミュニケーションを取れば良いのか考えていくと、ここで改めて、子供の強靭さに思い至る。彼らは私など居なくとも、ここまで自力で生き延びてきたのである。その中での不適応について、どんな風に生きて来たのか、どんなことが彼にあったのか、少しずつ聴いていくしかないのだ。すごいなあ、と感服しながら話を聴くと、こんなことがあって嫌だったとか、そういうことがお互いに分かってくる。私は半ば祈るように、その話を聴くしかない。誰でもいいからちゃんとこの子が大人になれるよう見ていてくれますように、と思う。私は残念ながら、話を聴くことしか出来ない。問題がどのくらい山積しているのか、子供と一緒に見積もってみる仕事だ。その中でどうにもならない問題(知能とか)が見つかってしまうことも、ある。その度に関係各所に恐る恐る電話を掛け、書類を作ってみたりする(ここら辺が不得手)。
一通り手続きが終わると、ぼんやり考え込む時間がある。彼にとって一番最良の手を選んだか、考え直してみるのだ。彼の幸せとか、生きる意味とか、そういうことにも言及しなければならないレベルのこともある。哲学的な命題に向き合うのは苦手なので、思考は大概長続きしない。仕方がない。私は彼らの強さに賭けたのだ、と思うことにしている。