the 雑念

葉一用。とりあえず日記

読書感想文001:『岳』石塚真一

〇ここまでのあらすじ
本が多すぎるので捨てることになったが、いざ捨てる段になってごねたのであった。

〇弟の提案
「感想文をしたためてから本を捨てればよいのではないか」と弟は言った。喪の作業(モーニング・ワーク)である。「幸いにして貴方は文章を作成する仕事に就いていると言えるし、文章を作成する能力も平均程度あるではないか」。しかし私は基本的に良いものを見ると心的に涙を流しながら「尊い……」としか言えなくなる古のオタクなので、それは難しいのであった(例えば、チャグムが国を想って海に飛び込んだシーンについて、人は『尊い』以外の感想を抱く事が出来るのだろうか(百歩譲って『気高い』ならあるかもしれない))。

〇枠組
読了したものについてしたためる訳だから、どうしてもネタバレは含まれる。また、私の人生の延長上に読書は位置するので、どうしてその話が気に入ったのかなど、私の人生の経過と大きく相関することもあり、日記たるブログにぶん投げるのがよかろうと思う。項目・文字数なんかは自由度を大きくした方が文章を書く際に抵抗感が少ない。表題にほんのタイトルとナンバリングは付けておこうと思う。

〇今日の感想文:『岳』石塚真一(全18巻)
・経緯
漫画なんかい、という気持ちはある。分かる。私は先日から小説(それも文庫本)の話ばかりしていたのだが、漫画本も実家に400冊近くあり、文庫本と合わせて1500冊近い冊数になってしまっているのでこちらの処分も急務なのである。そうした事情は置いといて、私の友人が長野県松本市で働いているのだが、『岳』の舞台も長野県松本市(を含む北アルプスの山々)なので、転勤の際に折角だから読むのが良いのでは、と推薦した経緯がある。先日2年ぶりに友人と話す機会があり、「まだ読んでいない」と言うので一頻り叱責し、年末に貸し与える約束をしたところだ。廃棄チャンスが巡ってきたことに乗じて改めて読み返し、感想文の練習台に仕立て上げようとしている訳である。

・あらすじ
思いの丈を自由にしたためるにしても、あらすじくらいは付けなくてはいけないのではないかと思う。基本的には、北アルプスで救助ボランティアをしている島崎三歩という山男が遭難者を助けまくる話だ。1~2話完結なのでこの要点さえ押さえていれば終盤でなければどこから読んでも困ることはあんまりない。三歩はものすごく明るい人柄で山でのトラブルを難なくこなしていく役なので、初読の際はその超人ぶりに若干辟易したものだ。大学時代に先輩に勧められたのがきっかけだったのだが、「こういうものを面白いと思うようになると、感性がおじさんになったということなのだろうな」と思った覚えがある。今もまあ、そこまで強くは思わないが、「ほらどうだ!これが決め台詞だぜ!!」みたいなものはやっぱり目に付くとも言える。

・みどころ
書いて改めて気付き始めたが、私は何かを手放しで褒める、ということができない性質のようだ(さもなくば『尊い……』になる。勿論、『岳』も尊い部類の物語だ。念のため)。仕方ない。こうして褒めるポイントを項目立てて紹介する必要がありそうである。私が取り上げたいのは『岳』のフィクション性が三歩のパーソナリティとスペックにのみ集中している点である。要するに、三歩以外はみんな普通の人だし、山で生じる事故もありふれたものなのだ。だから、三歩がいかに優れていても、事故者が死ぬときは死ぬし、救いのない話も(数自体は少ないが)ある。だから、読後感としては僕の中では『ブラックジャック』とかに近い。三歩が根明なのでさほど陰鬱な気持ちにはならないが、その分、「三歩が動揺した時」については読者もかなり心的に揺さぶられることが多いのではないだろうか。そうした緩急や展開については(多少無理はある時はあるものの)、特筆に値すると思う。また、一番しんどい仕事をしている三歩が大体笑って何でも許してくれるので、うっかり読んでいる私も許された気持ちになる。ささやかだが重要で、この物語全体の魅力である。

・印象的なシーン
終盤の物語開始の合図となった『はじまり』。レギュラー扱いのキャラクターが落石に巻き込まれるシーンだったのだが、とにかく絵を見て寒さや暗さ、恐怖が伝わる話で、そうした感覚に訴えかける漫画は稀有である。また、三歩が狼狽する場面で絶望感はひとしおなのだ。私は自分が思ったよりも三歩に依存していたのだなあとそこで気付いた。読者が無意識の内に期待しているということは、物語に上手く没入している証左である。そうして、やはり『岳』が優れた物語であることを再認識させられた次第だ。

・最終回近辺について
『岳』は最終回周りで賛否の別れた作品である。簡単に説明すると、『三歩は山岳救助のボランティアを辞め、再び登山家としてエベレスト(の隣の山)にアプローチを始めた。その後、エベレストにて遭難したグループの救助に当たり、かなり無理な行程を自ら歩んだことで、消息不明になってしまう』というものである。このようなタイプの話が終わるには順当であると言わざるを得ないが、「十中八九死んだのだろうけどもしかしたらどこかで……」という余韻も残しており、様式美がある。私は当時「ええー、三歩やっぱり死んじゃったのか」とちょっとしょんぼりしたのだが、ちょっとしょんぼりで済まなかった人々からは最終回に低評価(例えば、「三歩の行動はこれまでと矛盾している」「最終話辺りで話を畳むのに急ぎ過ぎた」などの評価)が与えられているようである(個人的には、話を畳むのに急ぎ過ぎたのはあるだろうと思う)。先日読み返したところ、(折角だから『岳』の肩を持つとという留保付きで)、私は『岳』の中で登山者が死んでしまっても、やはりどこか他人事だったのだろうなと思ったわけである。フィクションだし(それがフィクションの良いところである)、1~2話の付き合いではさほど情動は動かない。ただし、全編通して関与した三歩は既に私の中で他人ではないくらいには関係が築かれているのだろう。最終回は特別だし、残念に思う気持ちは強い。ただ、出来事だけを取り上げれば、『岳』の中で描かれ続けてきたエピソードと変わりは無いのだ。要するに、「三歩が死んでしまうことも、十分物語の枠内で生じ得ると何度も説明されてきた状態」であるにも拘わらず、私のような読者には最終回だけがひどく理不尽に見えるのである。現実であれば、それはきっとこの比ではないが、現実ではそうしたことが容易に起こる。メタフィクションとして、なんて言い方は『岳』には最もそぐわない言い回しであるが、大事な人、親しい友人や頼りにしている人物を喪失するという経験として、白眉である。

〇感想文の感想
意外と時間が掛かるし、あんまり魅力的に書けないのは忸怩たる思いだ(しかし嘘を書く訳にもいかないので悩ましい)。三歩を「イイヤツ」と認識するかどうかがきっと物語を楽しめる分水嶺になるんだろうな、と思う(こうして枠外に本質を垂れ流すから性質が悪い)。私はツンデレなのだ、と大昔に後輩から指摘されたことがあるのを思い出した(私は現在でもそれを認めない)。

11/10 幼年期と本棚の終わり

そういえばはてなブログをやっていたのだと思い出す。前回のエントリーを見て、月日は早く、残酷なものである。などと思う。

 

最近とみに本を読むようになった。捨てたいのである。
これくらい圧縮しても物事が十全に伝われば良いなと思う。というのも、これ以上言葉を埋め合わせても、互いの労力が使い果たされるだけだからである。伝達と理解の間には『光の速度に近づくほど膨大なエネルギーを必要とする』ことと近似する方程式があるに違いない。畢竟、伝達のエネルギーを増大させても完全な相互理解には至らないものだ。
何の話だったか。本の話だった。
私は本を読むのが好きだ。幼い頃からの逃避癖の賜物である。エッセイや専門書も勿論嗜むが、フィクションを読むことが大半となる。小説はいつでも私に現実からの逃げ道を用意してくれるから、必ず文庫本を2〜3冊携帯するようにしている。私はフィクションを愛している。これまでも、(そしておそらく)これからも。
ところが、本の困ったところは嵩張るところである(この一文には"ところ"が多く含まれているところがある)。1冊1センチ程度の厚みであったとしても、1000冊あれば10mになってしまう。すなわち、私と同じくらいの身長の山が6つは少なくとも積み上げられているわけだ。それを持ち続けることはコスト・運用の面で合理的でないという結論は8年前に出ている。捨てる本を選べ、ということになる。繰り返しになるが、私はフィクションを愛しているため、これらを捨てることを放擲してきた。しかしながら、実家の本棚が崩壊したという一報を受け、私はこの蔵書を少しずつ処分することになったのである。
当然、一度読み、比較的愛していないフィクションから捨てることになる(それだって大きな苦痛を伴う)。私の愛すべき賢い弟はこう言った。「文庫本の背表紙を切り落とし、PDFにすれば良いのではないか」。残念ながら私の中身のソフトウェアは電子書籍に対応していない(目がチカチカするし、何より電源がないとフィクションの世界に行けないなんてとんでもない)。この案は却下されることとなった。
そうしてふと気付かされた。「未読のフィクションについては、捨てることができない」。フィクションの出来を評価していないからだ。故に急いで最近本を読んでいる、ということになる(冒頭の文章の説明終わり)。
あと300冊強読めば手持ちの文庫本はほとんど読んだことになるため、このペースでいけば3年以内には概ね本を捨て切るることができるだろうと踏んでいる。ただしそれは、私がこれから文庫本を新たに買い足さなければ、という留保が付く。
当然、そんなことできるわけない。
私にとって本とはきっと、タバコやコーヒー、もしかしたらドラッグのように依存性の強いものなのだろう(依存性の定義について議論するつもりはない。言葉の綾というものを許容してもらわなくてはならない)。当然、古本屋に足を運べば2〜3冊は購入しているし、新刊で欲しい本だってたまにはある(主としてハヤカワ文庫になる。比較的さっさと絶版してしまうため)。手持ちの文庫本を読み終わってしまった時や旅行先で、緊急に購入することもある。私は1秒だって早く、そして長く、フィクションの世界に没入したいのだ。
弟が私のことを「書痴」と言うのもむべなるかな(しかし私はもっとその形容が似合う人物を、片手では収まりきらないほど知っている。弟のSF棚の8割は私が買ったハヤカワ文庫であることを、きっと彼は忘れているのだろう)。とにかく私は既読の本を捨てている。『深海のYrr』を捨て、『トップラン』を捨て、『六枚のとんかつ』を捨て、『姉飼』を捨て、『第四解剖室』を捨て、『バスカヴィル家の犬(新潮文庫)』を捨て、『月の影 影の海(講談社文庫)』を捨て、『家族狩り』を捨て、『狐笛の彼方』を捨て、『トップラン&ランド完』を捨てた。他にもたくさん捨てている。どのような本であっても、身を削るような思いだ(清涼院流水であってもそうだ。本当に)。
私を悩ませるのは『ブギーポップシリーズ』なんかである。新刊を追ってはいないが、まとめて読む時に既巻がないと困る、かもしれない。ライトノベルの邪悪なところである。思い切って『心霊探偵八雲』なんかは捨てた。シリーズものは管理も記憶も困難を伴うし、先達の『グイン・サーガ』を忘れてはいけない。未完と言えば『愚者と愚者』も頭によぎる。『屍者の帝国』みたいに続きを誰か書いてくれないだろうか。それとも満足いかないだろうから敢えてこのままの方が良いかもしれない。などと悶々とする。そして捨てられない本どもがまだうず高く堆積している状態にある。


本を捨てる試みはまだ始まったばかりで、遅々として進まない。そうした現実から目を背けるために、私は今日も本を読むのであった。

3/6 【感想文】シェイプ・オブ・ウォーター

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※そういうブログじゃない。

シェイプ・オブ・ウォーターを観た
 私はギレルモ監督をものすごく贔屓にしているので、シェイプ・オブ・ウォーターも無論楽しかった。そうした気持ちをしたためる他ないと思い、このようにメモ帳を起動している次第である。良いと思ったものを良いと伝える練習としたい。まあでも一言で言うならば、シェイプ・オブ・ウォーターはいいぞ。

○観る前に知っておいた方が良いかもしれない情報
 ・「同監督制作の『パンズ・ラビリンス』と比べると『シェイプ・オブ・ウォーター』の鬱度は0.4パンズくらいだから指標としてほしい」という情報をTwitterで見かけたが大体そんな感じ。しかしグロテスクさや暴力的なシーンは引けを取らないので、ビジュアル的に痛い描写が苦手な人は注意。
 ・R15指定なので性描写も普通にある。誰かと一緒に観るなら気まずくならないよう気をつけたい。
 ・これに付随して、日本での上映ではボカシが入っている。
  ・1シーンだけ、2~3秒くらい。あってもなくても大して物語に影響しないが、気を削がれるかといえば削がれないこともない。

○ざっくりとした総評について
 ・モチーフが山のように多い:元ネタは知らなくとも楽しめるけれど、知ってるとそれはそれで目新しさが減じる。
 ・ストーリーはシンプル:良くも悪くも大筋で驚くような展開は無い。細かい演出や表現技法で楽しむ割合が大きい。
 ・キャラクターの作り込みは深い:キャラクターに関する何故については作中で答えが示唆されていることが多く、想像の余地も広い。
 ・暴力描写はやや過激:苦手な人は本当にダメとなりそうなくらいには暴力描写がある。人に痛みを想起させる表現は優れている。

※以下諸々のネタバレあり

○テーマについて(『美女と野獣』と『シェイプ・オブ・ウォーター』)
 あらかじめ告白しておくと、私は『美女と野獣』が好きだ。おそらくそれは、『美女と野獣』を信頼と忍耐、そして寛容がテーマの物語だと解釈しているからだと思う。ラブストーリーになるのは最後だけで、それまでの過程に心を動かされるから好きなのである。例えば、ベルが父親の病のために一時帰郷したいと申し出た時、野獣はそれを認める。野獣はベルが二度と戻らなくてもそれでも良いと思ったのかもしれないし、戻ってきてくれると信じたのかもしれない。それでいて、ベルは野獣の城に戻り、彼の信頼に応えようとする。人と関係を築こうとする時に、相手を信頼し、相手を許すという基本構造が端的に、ひょっとすると素朴に描かれていて好きなのだ。
 『シェイプ・オブ・ウォーター』は『美女と野獣』の構造を模してはいるが、似て非なる主張が隠されている。もちろん、オマージュや対立項となるものは存在していて、その違いを感じるのも面白い。監督自身がインタビューで述べているとおり、理想的で清廉な美女と唖者で中年期に差し掛かった主人公や、乱暴だが会話に遜色なく豊かな知性も有していて、最後には美男に戻ることのできる野獣と、獰猛で生き物を貪り食い、コミュニケーションは僅かにしかできない半魚人の対比は残酷で、この映画がいかに捻くれているかが分かる。ただし、ミュージカルのシーンは本当に美しく、想像の中で伸びやかに歌う主人公を見て心が動かされない人はこの映画は向いていない。
 タイトルにも示されているとおり、この物語のテーマは非定型の愛だ。それぞれの登場人物が、それぞれの信念の下に行動する様は理解に苦しむものもある。ただし、よく考えれば──各人が各々の考える愛に基づいて行動していると考えれば、それほど無理も生じない。話すことのできない主人公は、半魚人が「ありのままの自分を見てくれる」として助けようとする。それはきっと、主人公の寂しさを拭おうとするだけの行為で、一般的な愛の概念とは異なるのではないだろうか。しかし、彼女にとってはそれこそが愛で、のめり込むには十分なのである。それだけの孤独を、彼女の切迫した表情やもどかしい手話で表現することに成功している。他にも、黒人の同僚はどうして主人公を最後まで庇おうとするのか。隣人の画家がまずいキーライムのパイを大量に冷蔵庫に隠している理由は?悪役のストリックランドでさえも、妻の「キャデラックが欲しい」という言葉に従って車屋まで足を運んでいる。この映画のすごいところは、ごく自然に、さりげなく登場人物それぞれの信念を無理なく描ききっているところにある。一方、それぞれが愛を(もしくは信念を)構築する過程にそれほど重心を置いていないとも言え、ここで1960年代という(欧米圏にとってはテンプレートなイメージを援用できる)時代背景を設定することでキャラクターの飛躍や異常性が生じてしまう負担を減じている(が、日本人にはちょっと馴染みが薄いということも付記しておきたい)。

○シナリオについて(『パンズ・ラビリンス』と『シェイプ・オブ・ウォーター』)
 『パンズ・ラビリンス』は評価の分かれる作品であった。というのも、主人公のオフェリアが迷い込む幻想的な世界を彼女の空想と捉えるか、それとも実在のものと捉えるか観客に委ねられており、それが物語の結末の印象を大きく左右するからである。現実がファンタジーを、ファンタジーが現実を互いに侵襲していく有様は秀逸で、その分、物語の複雑さが増しているという感も否めない。他方、『シェイプ・オブ・ウォーター』はかなり分かりやすく配慮されており、想像を上回るような展開はそれほどなく、平たく言えば盛り上がりには欠ける(ご都合主義と言われればそれまでというところもある)。ただし、これは寓話・大人のための御伽噺であるとしていることから、観劇としての側面が強いことも挙げておきたい。おそらく観劇者に求められているのは感情移入より手前の理解程度なのだろう。『美女と野獣』のように王道路線で勝負する前提があったとするならば、物語の展開で悪目立ちすることを避けようとしたのかもしれない。いずれにせよ、『パンズ・ラビリンス』のような祈るような気持ちで映画を見ることはない(これが0.4パンズの由来であると確信している)。ただし、台詞にはかなり気を配って制作されたところがあり、これは数回見なければちゃんとしたことは言えないだろうとも思う(例えば、半魚人を『彼(he)』と表現したのはおそらく主人公だけだと思うとか)。配色についてもこだわりがあるようで(例えば、主人公の心情と服の色、もしくは緑と赤の対比)、注意力をきちんと割けば(多少は)奥行きのあるシナリオだと感じている。

6/10 「男性は、コツさえつかめば、操縦は簡単です。男というものはもともと不安定な生き物で、とくに家庭の中では矛盾に苦しんでいるので、この矛盾をじょうずに利用するのです。」

【私のことについて】
自分語りをすることについて、それほど良い印象を持っていない。自分の来歴がそれほど面白いものだと思わないからだ。性的な志向もこんな感じであるし、実際、個人的な情報が割れるのも好ましくないので、他者と楽しくコミュニケーションを取れる程度の情報開示で楽しくやってきたし、これからもそうだと思う。しかしながら、簡単な概要を付けておくことは吝かではない。というのも、片方は勿論、私自身の心の整理のためであるし、もう片方は、同好の士に対して瑣末ながら経験談を寄稿したいと思ったからだ。後者の方は取って付けたような理由である。かと言って、私がいま不安定な状況にあるのかと聞かれれば、決してそうではない。要するに、すべての自分語りがそうであるように、暇つぶしのようなものなのである。

私はごく一般的な家庭の長男として生を受けた。下に聡明な弟がいる。母親からは心配性と合理主義を、父親からは不器用と負けず嫌いを受け継いだ。母親は簡単に言えば様々なコンプレックスを抱えた人でありながら、コンプレックスと折り合いをつけて生きる強靭さを持った人である。一方、父親はほとんど家に帰ってこない、平成初期から中期までのサラリーマン像を絵に描いたような人である。
母親が持つたくさんのコンプレックスの中に、学歴コンプレックスがあった。母親は地元の高校を卒業したあと、すぐに派遣事務を始めたのであった。私は母親が極めて合理主義者であることを知っているので、おそらく仕事はすこぶるできたのではないかと思う。しかし、彼女は自分の出自を恥じていた。
こんなエピソードがある。私が中学生の頃、勉強がとても出来る友人がいた。その友人は毎晩22時まで塾に通う努力家であったのだが、そのときのテストは偶々、私よりも点数が低かった。私は当時からぼんやりした性質を遺憾なく発揮していたのだが、国語だけは得意だったのである。平たく言えば、読書だけが私の拠り所であったからだ。彼は何もしない、授業中に居眠りをする同窓生を快く思わなかったのだろう。もしくは、両親からどうして1位ではないのか尋ねられることになりそうだったのかもしれない。いずれにせよ、彼は私にどのように勉強をしているのか聞いた。私は私なりに勉強をしていたのだが、どちらかと言えば詰め込み式で短期決戦型である。そのように説明したが、彼は納得しなかった。そのあと、多分、親が勉強を教えてくれるのだろうときっと彼は思ったのだ。私にこんなことを尋ねる。「親御さんってどこの大学出身なの?」。私は母親が地元の高卒であること、父親が名も知れぬ辺境の大卒であることを伝えた。聡明な彼はそのあと、彼自身の非常識さに慄いたのだろう。気まずそうに彼の両親の出身大学を教えてくれた。誰もが名前を知っているような、国立の大学であった。私は呑気なので、ふうんそうなの、くらいにしか思わなかった。私は帰宅して、その顛末を母親に話した。友人が悔しがっていた様子をそれとなく、それでいて少し得意げな気持ちで伝えたかったのである。母親は私を叱責して、そのあとぼろぼろと涙を流した。「恥ずかしいじゃない」。普段は何があっても動じない母親が、痛く傷付いたのだと知って私は狼狽えた。そのくらい、彼女の学歴コンプレックスは深く、それでいて巧妙に隠匿されていたのだと知った。その後、私は成長するにつれて洞察力を身につけ、母親がコンプレックスを抱えながら、非常に神経を使って私と弟を育て上げたことが分かった。高卒だからちゃんと子供を育てられないと思われたくないとか、良い教育を与えられないなどと思われないようにしていた。私は母親の行動は理解できたが、学歴といった、そのようなことに拘泥する気持ちは理解できなかった。それは中学時代のその一件からあまり変わってはいない。
母親はたぶん、大学に行きたかったのだろうけれど、母親の生家にそれほど余裕がなかったことは後に知った。弟と2人で話した時に、彼は「それなら奨学金を借りればよかったんだ」と言った。私はそうは思わなかった。金銭がなければ進学という道に踏み出す勇気も得られない。着想、あるいは実行に至るまでの距離が持たざる者は長すぎるのだと感じたのだ。母親が大学に行かず、現在に至るまでコンプレックスを抱えているのは、彼女だけの責任ではないとしたい。私はそう思った。そうして、母親にとって私達子供は大変な重荷であったに違いなかった。O-157が流行れば、彼女は専門書を買って熟読し、私達に専門的な手洗いの仕方を徹底させた。子供をうっかり死なせてしまう、馬鹿な母親には絶対になるわけにはいかない。そういった執念が、彼女を摩耗させていたことに疑いはない。私が幼い頃、母親はよくストレス性と思われる体調不良を頻発させていた。そんなことをよく覚えている。
彼女は自分から外に出ようと思わない方なので、吝嗇家でもある。これも私達を大学に通わせるなど、家計のやりくりに努力した結果だと思われる。そういったことに、私はつい数年前ようやく気が付いたのだった。それから私は母親を誘って、美味しいものを食べたり綺麗なものを見たりしようと彼女を年に数回は家から連れ出すようになった。彼女は今年49歳になる。私は26歳になるので、私の年齢にしては比較的若い親であるように思う。耄碌する前に、何かしら楽しいことをしてもらいたい。私は彼女のこれまでの人生における過緊張に報いたいと思っているのだ。
父親について語るべきことはあまりない。というのも、関係が悪かった訳ではなく、単に接触する時間があまりにも短かったためだ。彼は夜中の1時に帰ってきて、朝の6時に家を出る生活を私が大学院に入るまで続けていた。寡黙で、何を考えているか分からない人だった。高校生のあたりで、私は父親が何を考えているか分からないのではなく、何も考えていないのだと気が付いた。母親が子供の養育に非常な神経を使っている際に、父親は家に介入することはなく、ただ労働し、家計を回すための一種の機構とすっかり成り果てていたことに気が付いたのである。
こんなエピソードがある。高校3年生のときに、三者面談を行なった。進路にまつわる話をするためである。母親は仕事の都合がつかなかったので、代わりに父親が来校することとなった。そのことに父親はかなり難色を示していた。私の進路について興味がないから行きたくないとまで言っていた。母親は激怒し、持ち前の論理的な正しさで父親を攻撃した。父親は疲弊し、不承不承頷いて三者面談に来ることになったのである。私はそれをぼんやりと聞いていたが、父親は私の進路に興味がないのではなく、彼が思いの外、私のことを何も知らないことに恐怖したのだと理解していたので腹は立たなかった。「御家庭での様子はどうですか?」などと担任から尋ねられて、狼狽する父親が目に浮かんだ。それはとても可哀想なことのように思えたのである。当日、父親は朝から挙動不審であった。早朝にPCで私の高校のホームページをこっそり開いているところを目撃した。私は何も見なかったフリをしてあげた。三者面談が始まると、父親が恐れていた質問がいくつか担任から投げかけられる。「家ではどういったご様子ですか?」。父親は「いやあ、こいつはいつもゴロゴロしてますね」と答えた。私は父親の話に合わせて「えへへ、そうなんですよ」というようなことを答えた。彼は困ったときに身内を馬鹿にしたような発言をしてその場をしのぐ悪癖があった。私はそれを熟知していたので、それほど怒りも湧かなかった。むしろ彼がこの20分を無事乗り切れるよう、隣で祈るような気持ちであった。そうして無難に会話を終え、本題の進路相談に差し掛かった。母親に話したように、本当に私の進路について興味がないようであれば、「本人の自主性に任せています」というように言って欲しい旨は三者面談の前に伝えておいた。父親は憮然とした表情で「わかった」とは言っていた。三者面談で、父親は担任から話を振られると、目一杯時間を掛けて、最後に絞り出すように、「本人の自主性に任せているので」と言った。私は私が言った通りに父親が答えたことに、密かに満足していた。また、それを答える前に逡巡したことも分かっていた。私は自分の偏差値から算出されるような大学の、ワンランク下の大学を受験するつもりだと話した。担任は意外だという表情で、私の偏差値と同等、あるいはそれ以上のところも挑戦として受けて見てはどうかと尋ねた。「お父様はどう思われますか?」と担任が訊くと、父親はまたたっぷり時間を掛けて「わかりません」と答えた。父親は私がどれくらいの学力であるか、そのときようやく理解したところであったから、分からないのも当然だった。父親は帰り際、無言で私にアイスを買ってくれた。お礼ということは言葉を交わさなくても勿論分かるし、彼は自分からありがとうなんていう言葉を吐けない人間であった。そうして、私と父親の関係性はこれ以上良くも悪くもならないだろうという確信だけが私に残った。
その後、私は大学に進学し、大学院に進学し、臨床心理学を専攻することになる。私が研究や心理援助の駆け出し的な存在になり、多忙を極める最中、唐突に父親が私と話をしたいと言った。私はおそらく2人だけで話したいことなのだろうと思い、そうして彼の精神的な病理に思い至った。自分は鬱なのかもしれない、と言われたときにおそらく、確実にそうだろうと思った。彼の生活は精彩を欠いていた。酒も、煙草も、ギャンブルもやらないが、テレビも、ゲームも、趣味も何もない人である。休日はいつも自室で布団にこもっている。母親は「疲れてるから」と言っていたが、幼心にそれが健康な状態であるとは思えなかった。ついにそのときが来て、その処理を担うのは、彼が大枚をはたいて送り出し、専門家として歩き出した私であることはもしかしたら喜劇なのかもしれなかった。私は努めて平静に、そうかもしれないと告げた。それから信頼できる医師を探し、休職し、処方された薬を必ず飲み、私でも書籍でもネットでも誰でもなくただ医師の指示を信ずるように彼に教えた。彼は大変弱っていたので、その通りにした。そうして半年ほどの休職を経て、閑職ながら職場に復帰していった。彼はその間に人が変わったようになり、明るく、陽気で、テンションが上がれば多弁になるといった私たちのような心理職の人間からすれば「お馴染みの」調子になり、その後、ひどく疲れるということを繰り返し、その振幅が少しずつ治っていく経過を辿った。弟が暇つぶしに良いから、とスマホの使い方をたくさん教えてやったことも、興味関心の幅が狭い彼にとっては画期的な出来事であったようである。
一方、私は母親が厳密に管理していた家計の傾きを察し、博士課程への進学を断念して就職をすることにした。急に舵取りをした割には成功し、無事働くことができたのは私の人生にあってなかなかの幸運であった。そもそも、博士号を取得したところで研究に対する情熱があったわけでもなし、これで良かったのだと思う。そのことを考えるとき、私は連想で母親のことを思い出す。大学に行きたかったが行けなかった彼女も、そう思うのか私に何度も尋ねた。「本当に良いの?お金なら心配しないで、大丈夫よ」。私は良いのだと思う。十分に何もかも施してもらったように思った。独り暮らしを始めてそう思えたので、この気持ちは本当だと思いたい。
こう淡々と書くと私は非情に冷めているようであるし、なんだかとても優等生のような気がする。実際私は非情に冷めていたし、ある意味で優等生のようではあったが、私も同性愛という特に思春期を生きる上での困った特徴を抱えていたのでそういった偽装された外枠が生まれたのだと思う。私は両親を確かに慕っているが、同時にひどく客観的な視点で2人を観察することができる。それは私が生きる上で必要な技能であった。
自分が同性愛の志向を持っているとはっきり認めたのは中学生頃の話である。女性は愛せないわけではないが、同性と比較するとやや不自然であるというのが一番しっくりくる説明だ。中学生の私は動揺して、毎日そのことで悩んでいた。こっそり図書館で同性愛について調べたりしても、特にこれといった確信は得られない。治療できることでもないようである。そう知ったとき、私は通常思い描かれる今後の幸福、即ち結婚や家庭を築くことをすっかり諦めるよう促されたように感じた。そうして、それらの絶望を含めて一切合切を誰にも悟られないようにすることを、理性的な私が命じたのだ。一番情緒が安定しなかったのは、中学2年生頃である。過呼吸で目が覚めたりもした。ただ私は、人間がそれほど悩み続けることができないと確信していた。私がストレスやら何やらで壊れるのが先か、私がその苦痛にすっかり慣れてしまうのが先かという問題である。結果として、私は完全に私の秘密を隠しおおせて毎日を過ごすことになんの抵抗も感じなくなった。その時々に応じて、自分の外枠を自在に変えることを覚えた。その様子を内から見守る私は冷静で、常に他者と自分の相互作用に目を光らせていた。
私の周囲には多くはないが親しい友人が必ずいたが、偽っているという意味で私は真に彼らと交流を持つことはないのだと感じていた。同時に、そういった秘密というものは誰にでも多少は付き物であって、すっかり互いに自分のことを話す必要もないとも思っていた。母親譲りの合理性で私の理性は常に行動規範の最上位に君臨し続けた。私は無難であることを最善として生きようとしたが、結局のところ父親譲りの負けず嫌いもあって、自分の秘匿した負い目を隠すように学業や社交、あるいは部活動など一般的な学生が取り組むことを心ならずも取り組むことになる。私は同性愛の志向を自身の欠点であると断じていた。それを補うかのようにそれらに打ち込み、不幸にもそれらはそこそこの、それでいて飛び抜けない程度の成功を収めていった。例えば、私は先例のように勉強がそこそこできた。勉強がそこそこできることは、私にとってこの世を生きやすくすることには役立ったが、そのくせ私はそういったことに全く価値を感じなかった。何故なら、それは私の偽装のために必要な手段であって「勉強ができるようになる」という目的にはなり得なかったからである。全ての事柄において私のスタンスは変わらなかった。何ができても、何ができなくても、外部の出来事は手段であって義務であった。できないことには早々に見切りをつけ、無難にできそうなことを念入りに、機械的に磨く。私の中に達成感といったものはほとんどなかったし、何かをしたいという気持ちもほとんど生じなかった。私の無気力さ、無関心さを敏感に察知した者は、私のことをほとんど憎むようにして嫌いになった。意欲もなく、価値も感じないことを淡々と続けることで経験値だけは伸び、それらに意欲があり、価値を感じている者の行く手を阻むことが多かったからだ。「お前と一緒にいると、コンプレックスを刺激される」と一人の友人は言った。私はその言葉が今まで生きてきて最もひどい罵倒であると思っている。私は事情を説明するわけにもいかないので、ごめんね、と謝ったように思う。私が悪いわけでも、八つ当たりしたくなった彼が悪いわけでもない。しかし、どちらかと言えば常に何かを欺いている私が悪いように思ったのだ。結局のところ、私が一番私を嫌いだった。
高校を卒業する頃には、私は自身の感情をほとんど思い通りに制御できるようになった。どんな時に気分が悪くなるのか、どんなことが許せないのか、どんなことが悲しいのか、そういった探求を特定の条件下でほとんど模索したと思った。そうして動揺が襲い掛かったとしても、それらを平然と押し殺せるようになった。大学に進学してからも、何人かの女性と交際した。愛というものについてあれこれ言うのは難しいが、私の心は少なからず彼女らに惹かれたし、セックスだってうまくできた。しかしながら、やっぱりそれは私の中の本当ではないのである。私は冷静に自分の能力や限界を見定める私に辟易した。空虚さや冷淡さが描かれるばかりであったからである。もっと賢いか、あるいは、もっと愚昧かのどちらかであればこんな訳のわからないことで悩んだり苦しんだりしないだろうと思っていた。私の偽装に反した「不適切感」はどんどん大きくなっていったが、それは誰にも公開されることなく、いつものように丁寧に蓋をして心の奥底にしまっていた。
私が大学院生になり、父親の鬱が一段落した頃、私はそういった努力を部分的にやめることにした。なんてことはない、疲れたのだ。むしろ良く保った方だと思う。他愛ない会話の中で、私は母親にさらりとカムアウトした。母親は動揺したし、自分の育て方が悪かったのだと必ず感じるだろうと思っていたが、その通りのことを言った。私は、唯一私自身の本当のために選んだものである心理学の知見から、養育や遺伝という事柄が科学的裏付けのないことであることを訥々と伝えた。それは誰のせいでもなく、何のせいでもないことなのだと伝えた。両親は早々と納得して(あるいは納得したふりをして)くれて、私の一世一代のカムアウトは比較的穏やかに、好意的に終わった。それが一番ありがたいことだった。私は家族の中では色んな偽装を外して、ゆったりとくつろぐようになった。私の振る舞いが変わるわけではなかったが、精神的な気の持ちようだけで随分と楽になるものであると、心理学徒でありながらその効果に驚いた。そうして、私が偽装のために費やし、獲得した色々な事柄は、古びているけれど使い慣れた道具のように、私の中に残った。その後、これらが思いがけない場面で私を度々救うようになった。
現状にすっかり満足したわけではないけれども、私というのはざっくりとこういう感じで形成されてきた。両親をはじめとし、人に恵まれた方だと思っている。オープンもクローゼットも両者それぞれの苦痛があることを、私は半端者だから完全ではないけれども多少理解できると思っている。そういった苦痛や悩みを抱えること、がっかりしたり、自分の将来に絶望すること、それらを自分に許すことがより良く生きる近道なのかもしれない。全く平気なふりをし続けるには、人生は長過ぎる。それらを克服できなくとも、悩んで、くよくよして当然であって、そういう権利が誰にでもある。私はそう思う。もし身の回りに、自分の悩みをすっかり打ち明けられる人がいるとしたら、それは間違いなく最良のことだ。もしそういう人が周りにいなくて、落ち込んだりしてまともに動けない日があっても、全然ダメじゃないと私は何度でも言いたい。それはどんなことであっても格闘の結果であって、果敢に挑んだことの証左だと思うからである。そういう人は、当然労われなければならない。
文章を書いていて、私が中学生の頃、まだネットや携帯電話が普及し始めたばかりで、自分と同じような悩みを抱えている人を知らなかった頃、ひどく孤独であるように感じていたことを思い出した。僭越ではあるが、もしこの文章を読んで誰かを何かしら元気付けることがあるとしたら、この上ない喜びである。

5/21 「本物」の神はこの広い宇宙のどこかに隠れ 我々の苦しみを傍観している いつまでもそれを許しておけるほど 私は寛容な人間ではない


【近況報告について】

ほぼ1年ぶりの投稿であるが、その間に私は働いたり、出張したり、学会に参加したり、転勤のため引っ越しをしたりしてそれはもう大変な面倒を山ほど抱えて歩いてきたところである。ようやく年度初めから一通りの業務を覚え、余暇を捻出することができ始めた頃合いで、ああそうだ、ブログというものをやっていたと思い出し筆を取った次第だ(正確にはメモ帳を立ち上げた。私の作成する140字以上の文章のほとんどはメモ帳で作成されている)。
転勤先は片田舎であるが、前回勤務地よりは穏やかな毎日であり、物価も安くそれなりに満足している。不満という不満はないが、いずれにせよこの項で述べたいのは、引っ越しというものは何と面倒なことであるのか、という主張の一点である。これさえ伝われば文句はない。家探し(残念ながら社宅の抽選に漏れた)に始まり、契約、引っ越し業者との折衝と実行、住民票や免許証の登録変更、あとは会社に提出するべき諸々の書類と、銀行やカード会社あるいは宅配先などの住所変更そういった事柄を働きながら1か月くらいで片づけなくてはならないのであった。私は憚りなく年休を消化したので、周囲からは非難を浴びせかけたりしたが、開き直ってなんとか無事転居を済ませる事が出来た。こういったことを全て一人でやらなくてはならないのだから、とにかく生きることは難しい。
新しい出会いというのも、私のような繊細な(念のために断りを入れると、冗談である)人間にとってはストレスフルな事柄の一つである。私の相貌認知は境界水準であり(これは本当である)、人の名前を憶えることが難しい。面倒だ、と思う。私を殺すには面倒なことを2、3机の上に積み重ねるだけで良い。転校生が周囲からしばらく持て囃されるように、私もそういった他愛ないやりとりを消化しなければならなかった。それは本当にもう、拷問のような時間である。得てして人間は、それほど他人に興味が無いものなのだという確信がある。例に漏れず、転校生への質問はいつの間にか自分語りに替わっていく。私はか弱い心理学徒の端くれなので「へえ、そうなんですね」と適当な(それでいてこちらとしても消費カロリーの少ない)相槌を打つ技術に長けている(残念ながら文字でそれを表現することは難しい)。何とかやり過ごし、転校生タイムは終了したようだ。
こんな文体ではなかったか、と思いながら文章を作ったが(こんな文章ではなかったね)という感じである。

【仕事について】

相変わらず子どもまみれの仕事である。子どもはすげえいっぱいいるのである。少子化というのは、実は嘘なのではなかろうかというのが最近の私の考察だ。残念ながら、私と出会う子どもというのはそれなりに不幸なところがある子どもである。そういう仕事であるから仕方ない。おかげ様で給金もそれなりに貰えるようになってきた。使うところはあんまりない。贅沢と言えばAmazonプライムに加入したくらいの、ささやかなものである。
中卒で働いている子に会う。あるいは、高校を中退したばかりの子と会う。虐待を受けていた子に会う。知能が普通域よりも低い子に会う。薬を飲んでないとやってられない子に会う。嘘ばっかりつく子に会う。意気地がなくてどこにもいけない子に会う。ハンディキャップをひた隠しにしている子に会う。何故私と会うことになったのか分からない子に会う。私はいつも、彼らの資料をすっかり読んだ後、何も知らないふりをして彼らに会う。1つはそうすることでより現実味のある話を聴けるし、彼らの中での認識がどうなっているのか分かるからである。もう1つは、話をすることは自分を客体化することであって、過去を整理することが彼らの混乱を終息させるきっかけになるかもしれないと思っているからである(断っておくと、これはオリジナリティのある考え方ではない)。
良い聴き手であること、ということは臨床に携わる心理学徒の命題である。ロジャーズの3原則とか、そういうものをまず挙げる人が多いかもしれない。私も一応そう思う。それ以上に、彼らの話に動揺しないことが求められているように1年間くらい働いて思った。彼らは自分の過去を恐れているから、私が怖気づいてはそれ以上2人とも前に進めなくなってしまうのである。
鷹揚に。それでいて、何に対しても寛容であること。彼らの戦いに敬意を表し、今までされて来なかった、彼らの頑張りを労うことを忘れないこと。
私が心理学徒駆け出しの頃に読んだ本に書かれていた言葉である。その時は、尊い在り方だと思った。今もそう思う。そうあるために、私は動揺を殺す術を覚えてきた。胸に迫るような悲しい話をされても、聞いたこちらが何かに八つ当たりをしたくなるような胸の悪くなるような話をされても、平気だよという顔をして話を聴こうとしてきた。実際のところ、その試みはしばしば失敗した。その度に、私はほんの1、2時間話を聴いただけで彼の代わりになり替わったように感じる私の傲慢さに辟易した。
何もかもが一括で解決する方法があればいいのにと思う。彼らのあれこれを、簡単に解決できる何かがあるのではないかと思う。それは私が愚図だから、気が付かないだけなのではないかと思う。上司も先輩も、それよりもっと偉い人も、誰もそれを知らない。だからせめて、平気な顔をして話を聴けるようになりたいと思う。

【読書について】

転勤してから本を読む機会に恵まれている。既に昨年度を上回る読書量ではあるまいか、という感じだ。
本を読むのが昔から好きだ。中学生の頃から現在に至るまで、文庫本を持ち歩かないで生きたことはないというくらいである。実際、携帯ゲーム機よりも刺激的で、内容によっては18禁のものであっても1冊の本であればいついかなるときでもマナー違反にならないというのは不合理であるが私にとっては好都合だった。
私は高校生の時と大学生の時、それぞれ自分と同じくらいかそれ以上に本を読んでいる同級生に出会った。その際に、私は自分の読書したものについてほとんど執着心や愛着がないことに気が付いた。彼らは読んだものに甲乙を付ける。もしくは、自分はこの前こんなに素晴らしいものを読んだ、と話した。私はその話を聞くのが好きだった。他方、私はこういう話だった、と説明することはできてもそれが具体的にどこが良いとか悪いとか、そういった判断基準を持たなかった。作者が創作したものをあるままに受け取るものが読書だと思っていたからだ。
好悪はあったが良し悪しはない。そういう説明を友人にはしたかと思う。
それはどこまでいっても主観の世界であるから他者にわざわざ公表することでもないと思ったのだ。例えば私は志賀直哉の『暗夜行路』が好きである。私は大雑把に言って、何かを修復したり、台無しになったものをとりなすような話の筋が好きなのだと思う。例えば私は森鴎外の『舞姫』が嫌いである。あの主人公の煮え切らなさに加えて往生際の悪さが堪らなく嫌なのである。文学的に優れているとか、あるいは推理小説であればトリックや動機であるとか、ファンタジーであればオリジナリティや活劇の文字の起こし方とか、そういった評価基準を有していることは知っている。そのように論評を書くことも、拙いながらできると思う(大学生時代に雑誌に書評を投稿したら、何本か掲載されたことがある。私は少ない額の図書カードを貰い、あまりにも少額だったことに腹を立てて全て文房具にした)。しかし、結局のところ読書というものは個人の好き嫌いに還元されることを私は確信している。読書とはそもそも、とても孤独な作業に他ならないからだ。
あるいは、君は君の読書体験を誰にも汚されたくないのかもしれないね、と大学時代の友人は言った。私のことを多分に理解してくれる友人である(ちなみに変わり者である。部室にファービー人形を磔にして三日三晩鳴かせ続けたりしていた)。私は彼にそう言われて、そうかもしれないと思った。
そんなことを思いながら私は今日も積読を消化するのである。シリーズ物に着手する時間ができたので、最近はスティーブン・キングの『ダーク・タワー』を読んでいる。古本で文庫本を集めるのが趣味なので、新潮文庫から出ているものである。まだ読み始めたばかりで、3巻目に移ろうかといったところだ。個人的に(読書はいつだって個人的な物だと何度でも言いたい)、新潮文庫の翻訳は何故だか読みづらいことが多く、天下のスティーブン・キングであってもそのようである(『幸運の25セント硬貨』もそんな感じだった)。断っておくと、ハイ・ファンタジーである部分によるところも大きいと思うし、どうやら一番読むのに苦労した1巻目はかなり昔に書かれたもののようである。スティーブン・キングと言えばホラーでも何でも、洒落た会話が出てくる(あるいはストレートな駄洒落もある)から、日本語での表現は難しいし、じゃあ原著で読みなさい、と強か頬を張られても仕方の無い注文である。巻を追うごとにそこそこ読みやすくなるだろうと信じたい。

8/6 『もしかすると強靭さとは、自信や力や技などよりも、そういった穏やかさに宿るのかもしれないな』まで引用しようと思ってどの本で読んだ文章なのか忘れちゃった

【ご無沙汰について】
2か月ぶりなのである。これには深い理由がある訳でもなく、ただ単に『自分がブログを書いていたことをすっかり忘れてしまっていた』ということに起因する(ポンコツか)。特段、待ち望んでいる読者がある訳でもないのだろうが、自分の考えたことなんかを吐露する場を失うのは惜しいという思いもある。そのような理由から、こうしてメモ帳を開き、キーボードを叩き始めた次第である。間隔を埋めることはできないだろうが、簡単にこの2か月の近況報告をしておきたい。
一言でまとめると「研修が終わり、自分の仕事に戻った」。これに尽きる。毎日が忙しく、新しい業務との闘いの日々である。嫌だと思っても新人の課題みたいになっているのだから仕方がない。悪態をつきながら言われたことは何でもやってみている、というところだ。得体の知れないスキルが着々と向上していく中(先日は炎天下の中で芝刈り機を担いで芝を綺麗に刈るというスキルを身につけた)、夜は倒れるように寝て、朝はゾンビのように起き上がる。そんな毎日である。
このように書くと、新人らしい洗礼を受けているとか、あるいはひどい仕事に就いてしまったとか、もしくはこの根性なしめとかそんな感じのことを思われる方もいるかもわからないが、実際のところ全部当てはまっていると思うので返す言葉も無い。しかしながら、冷蔵庫やPS4を買い揃え、nasneベルセルクを録画し、休日はポケモンGOに勤しみ、帰れば冷房の効いた部屋でまったり過ごしているので、入社4か月目と考えればまだまだ余裕が残っている方なのではないかとも思う。強がりではない。本当だ。
1年目らしい生活を、良くも悪くも送っている。それが気恥ずかしくもあり、どこかもどかしくもある。出来ないことを減らして、出来ることを増やす。そういう風に生きている。

【強さについて】
仕事柄、大変な目に遭ってきた子供に会うことが多い。昨年、一昨年もそうであったが、就職してからこれが本格的に加速してきた。
個人情報なんかのしがらみもあり、勿論ここで具体的な話をする訳にはいかないのである。「本当にいま、目の前に生きて座っているのが奇跡とも思えるほどの酷さ」とでも表現しておこうかと思う。これは私の先輩の言葉だ。
冷静に考えて、子供というのは強靭な生き物である。普通が分からないからこそ、異常な親や異常な環境に耐え得るのである。そうして、客観的に見てとんでもない人間に育っていくこともある。ここで驚くべき点は、そのような少年少女でも必ず大人になるということだ。彼らの成長を妨げることは、明確な殺意が介在しない限り現代日本においてはほぼ不可能であるように感じる。
そういう子供と毎日会う訳である。それが仕事の一環と言える。大人になりかけながらも、中身と外身のアンバランスさに混乱しているような人達である。彼らは優しくされるのに慣れていないので、私のような立場の人間に会うと、警戒してわざと嫌われるような行動をとってみたり、あるいは、もっと好きになってもらおうと私の前でものすごく良い子に振る舞おうとしてみたりする。そうして私は、目の前の彼らが、想像以上に深い傷つきを抱えているということが、段々と分かってくる。窒息してしまうくらいの苦しさを、本当に感じることもある。これは私が敏感だとか、高い技量を持っているという訳ではない。誰だって彼らを目の前にしたら、言葉を失うと思うのだ。
諫言は禁句である。これ以上彼らを糾弾すると、本当に一人きりになったような気がしてしまうだろうから、彼らを諌める言葉は誤りである。
慰めも禁句である。自分が酷い目に遭ってきたということに、目を閉ざして生きてきた人たちであるから、徒に可哀想で括るのは誤りである。
彼らとどうやってコミュニケーションを取れば良いのか考えていくと、ここで改めて、子供の強靭さに思い至る。彼らは私など居なくとも、ここまで自力で生き延びてきたのである。その中での不適応について、どんな風に生きて来たのか、どんなことが彼にあったのか、少しずつ聴いていくしかないのだ。すごいなあ、と感服しながら話を聴くと、こんなことがあって嫌だったとか、そういうことがお互いに分かってくる。私は半ば祈るように、その話を聴くしかない。誰でもいいからちゃんとこの子が大人になれるよう見ていてくれますように、と思う。私は残念ながら、話を聴くことしか出来ない。問題がどのくらい山積しているのか、子供と一緒に見積もってみる仕事だ。その中でどうにもならない問題(知能とか)が見つかってしまうことも、ある。その度に関係各所に恐る恐る電話を掛け、書類を作ってみたりする(ここら辺が不得手)。
一通り手続きが終わると、ぼんやり考え込む時間がある。彼にとって一番最良の手を選んだか、考え直してみるのだ。彼の幸せとか、生きる意味とか、そういうことにも言及しなければならないレベルのこともある。哲学的な命題に向き合うのは苦手なので、思考は大概長続きしない。仕方がない。私は彼らの強さに賭けたのだ、と思うことにしている。

6/5 買い出しにて 同期氏「なんで1人1袋オレオ食べきる想定で買い物してんだよ」僕「えっ」同期氏「えっ」僕「1人1袋食べないの???」同期氏「お前もう買い物やめろ」

【関係性について】

毎日書きたい、ということだったがしばらくぶりになってしまった。研修の山場に加え、友人の入院などの色々が重なってしまったのであるが、まあなんとか無事である。疲れ果てていたからか、今日はほとんど布団から出ていない。独りきりの時間が尊いというのは本当だ。

人間は孤独に耐えられない、という言説がある。昔、世界史の先生からフリードリヒ2世の実験の話を聞いた。子供を育てる際に、養母や養父が一切話しかけないで育てると、子供は1人も育つことなく死んでしまった、というような話だ。無論、世界史上の話であり、信頼性や実験の確かさのようなものを今更吟味するようなことはしない。とにかくそういう逸話があるそうだ。これに関してコメントを加えるならば、コミュニケーションの剥奪が即ち物理的な死に繋がる、と結論付けるのは些か現代的な幻想に依拠しているような気がする、ということだろうか。

関係性、という事柄で私達は常に苛まれていると言っても過言ではないだろう。人間は孤独に耐えられないからかもしれない。関係妄想というのは比較的私のような仕事をしていると出会いがちな症例の一つである。他人から、あるいは見ず知らずの誰かから悪口や殺意を感じるというのは突飛な発想ではない。誰しも一度は『自分の体臭が周囲を不快にしているのではないか』とか『自分が離席している間に何か悪口を言われていたのではないか』とかそういう懸念を感じたことがあるのではないだろうか。少し大雑把な表現になるが、概ねそれの延長線上に関係妄想はあると言っても良いだろう。機序は幾つかあるが、それは私達の自我や自己同一性を守るという役割がある。では、誰とも接触しないで良い孤独な状態こそが、人間にとっての理想状態なのではないだろうか。しかしながらそれもまた正しくはないのである。孤独というのは人間の大切な機能をどこか必ず、時間をかけて蝕むものらしい。抽象的な表現になってしまうが、これも本当だ。ストレス研究からも、人間関係というものは適度に存在する方が良い、という結果が出ている。

ここまでうだうだと文章を書いたのも、前述の通り、友人の入院というとても困ったことがあったからだ。私は本人からのメールでそのことを知ったわけであるが、彼の文面は「入院しました 笑」の一文だけであった。私は数分逡巡をし、「笑ってる」とだけ返した。その後、そんなことを言わないようなキャラクターである彼が、「一人きりで暇だ」というようなことを述べたのである。これは残念ながら、心理学徒からすれば「寂しい」と解釈されても仕方のない文面である。

彼は学生時代から向こう見ずで、東で震災があれば数日後にはボランティアとして、部活や大学を放っぽり出して旅立ち、ゴールデンウィーク辺りに自分の履修なんかを思い出して、私にメールで自身の学内アカウントとパスワードを教え、「良い感じで履修登録してくれ」と頼むような奴だった(私はその時、彼が最も興味がないであろう朝一番の『哲学概論』を勝手に履修に組み込み、見事単位を落とさせている)。良く言えば頑張り屋で正義漢、悪く言えば近視眼的で意識が高い。周りにいれば鬱陶しいこと請け合いだが、彼は他人とコミュニケーションを取るのが上手だったので人間的な魅力を多少は兼ね備えていたように思う。

私は仕方がないので先週の土曜を利用して都内の病院へ見舞いに行った。彼は「お前は私服が2着しかないのか」と私に悪態をつきながら、美味そうに果物ゼリーを頬張っていた。正直なところ、私の仕事に関するスケジューリングは彼の見舞いのせいでかなり台無しになってしまったのだが、まあ、それもまた仕方のないことなのだろうと思った。1/3くらいは煩わしいと確信している。実際、先週は結局テストや実習やらでとんでもなく多忙を極めることになってしまった。それでもなお、関係性というのは断ち切り難いものである。やれやれという感じだ。彼は細菌かウイルスが由来の何かしらの病気であり、そろそろ退院できるらしい。おそらくストレスと過労から来る免疫機能の低下が原因だろう、と思ったが何も言うまい。病室で1人で居るより良かったのであれば、私も自分の可処分時間を割いた甲斐があった。そう互いに信じるところから、関係性という現代における神話の如き妄想が生まれるのかもしれないとも思う。